きっかけ---気持ちを見失っていた時の出来事④

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コラム

今回は、仕事での出来事です。

私は、アルバイトも含めると、本当に多くの仕事に就きました。
この多くの転職も、気持ちを見失っているからこそなせる業でしたね。(苦笑)

そんなたくさん就いた仕事のうちの一つ、「製麺会社」での出来事です。

今回お話しする「製麺会社」とは、主にスーパーなどで販売されている「うどん」「そば」などを製造している会社となります。
「うどん」「どば」意外にも、ラーメンの麺も製造していました。ラーメン専門店の要望に応えた麵を製造したり、新規にオープンするラーメン店のオリジナル麺のアドバイスや製造もおこなっていました。他にも、スーパーの総菜コーナーの一角を借り受け、中華の総菜を製造販売、小中学校へのソフト麺の製造納入も行っていました。

私は、友人の紹介で、時給がそこそこ良かったこともあり、働くことにしました。
最初は、スーパーやラーメン店、ファミレスなどに、麺などを配送することを担当していました。

配送の仕事は、朝5時から始まります。
配送する商品を確認し、配送車に積み込み各お店に決められた時間通りに配達していきます。

初めての職種なので、わからないことが多くありましたので、よく質問をしていました。
すると、少し働いていると、常務や専務、社長に気に入られるようになりました。

小さな会社でしたので、社長に専務、常務、経理一人と、10数名ほどのパートアルバイトの方で仕事は回されていました。

気に入られるようになることで、おいしいことがありました。(笑)
まず、早朝に会社に行くと、釜揚げうどん食べ放題!
これは、たまりませんでした。(笑)

スーパーなどに納入する麺をゆでる作業がベルトコンベヤーのような流れ作業で行われているのですが、その茹で上がる麺をすくって器に入れ生醤油だけで食するのですが、これが絶品でした。(笑)

最初は、遠慮しながら食べていたのですが、社長が「好きなだけお腹いっぱい食べていいよ」と、仰ってくれました。
私は驚いて「そんなにたくさん食べると足りなくなるのではないですか?」と、尋ねると、「君がお腹いっぱい食べたくらいでは大して変わらないよ」と、笑いながら答えられていました。

他にも、スーパーに卸したパック(麺とスープ、具材をワンセットにした商品)になったきつねうどんや中華そばが消費期限切れになる前に回収してくるのですが、その回収したものを持ち帰っても良いのが嬉しかったですね。
これは、かなり食費が助かりました。(笑)

最初は、配送だったのですが、そのうち専務が行っている製麺を手伝うようになりました。
工場自体、最新鋭の設備ではなかったので、水加減などは結構感に頼る部分もあり、なかなか奥深かったですが、楽しく行っていました。

特に、専務に気に入られて、従業員にならないかと仰って頂けました。
給与などの希望額など条件を聞かれ、私の希望を伝えると、専務は承諾してくれました。
私的には、この会社では無理だろうなという金額提示だったのですが、承諾をして頂けました。

私の希望通りの状態になり、働き始めるのですが、ここで、気持ちを見失っていることで変な考えが頭をよぎり始めます。

「俺が、やりたい仕事は、これでいいの?」
「このまま、ここで一生終わらせていいの?」

この手の思考は、私が転職を繰り返すきっかけとして常にまとわりつきました。
最悪なのは、気持ちを見失っているものですから、この考えは日々大きくなっていきます。

すると、「ほかに、自分が本当に求めている仕事があるはず」とか「自分が本当に生きたい道があるはず」などと次なる思考が大きくなります。

ここまでくると、もう自分の中で結論が決まってしまいます。

「今の仕事ではない気がする。早くやめなければ。」と。(苦笑)

半年もしないうちに、専務に「辞めます」と告げました。

専務は驚き、なぜ辞めるのかと理由を尋ねますが、「本当にしたい仕事ではない気がするから」と伝え、あきれ果てられたことを覚えています。

私の望む条件で働けているにも関わらず、気持ちを見失っていることで、「何かが違う」と錯覚し、手放してしまう。
何をやっているのやら。。。(苦笑)

気持ちを見失っているからこその出来ることでした。

気持ちに気付いてからの私は、仕事に関しては「どんな仕事でも良い」と感じています。
実際、気持ちに気付はじめた時に、携わっていた仕事は瓦職人ですが、気持ちに気付く前は、「早く職人を辞めたい」と思っていました。

当時37歳くらいでしたから、体力気力ともまだ大丈夫でしたが、やはり、体力は年々落ちていきます。
それと同時に、仕事の環境が年々厳しくなっていくのも肌身に感じていました。

賃金面では、年々施工単価は下がり続け、上昇する気配は微塵もありません。
就業時間、施工手順、作業工程の複雑さなど、厳しくなり続け、職人の技量を剝ぎ、作業の単純化を強いられていました。
屋根の上は、夏は本当に暑く、冬は本当に寒かったですね。
よく言われていたのが、「自分が60歳になって職人をしている姿を想像したいのであれば、今、60歳の職人を見ればよい」と言われていました。
見てみると、くたびれ果てた職人ばかりでした。(苦笑)

ですから、「早く辞めて、ほかの仕事を」と、真剣に考え続けていました。

ところが、気持ちに気付いたことによって、あれだけ強く辞めたいと思っていた職人の仕事について、「もう、一生職人で良い。」と思えるように変わりました。

何も状況が変わらないし、変わる気配もないのに、それでも「良い」と思え感じるのですから、不思議でなりませんでした。(笑)

自分が真に求めているものは何なのか?
その答えは、どこか知らない他の場所にあるのではなく、自分の気持ちにしかありません。

「どう生きたいのか?」
「何をしたいのか?」
すべて答えは、気持ちにあります。

話はかなりそれましたが、自分が望んでいるものを手にいれたとしても、それを手放してしまうのは、気持ちを見失っているから起きること。

また、望んでいたものがの望んでいないものだったのも、気持ちを見失っているから起きること。

気持ちを見失っている時は、起きることがとても複雑になります。

「欲しいです!」では、「どうぞ」と言われても、「やっぱり要りません!」。「じゃあ」と言われ引っ込められると「やっぱり欲しいかも…」なら「どうぞ」。「いや、やっぱり要らないかも…」。私は一体、どうしたいの?!?!

気持ちを見失っていると、気が狂いそうになりそうです。(苦笑)


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