きっかけ---気持ちを見失っていた時の出来事④-1

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前回のブログ記事を書き終わってから少し思い出した感覚を今回はサクッと書き綴ってみたいと思います。

気持ちを見失っていた時期でも、そこそこ仕事は上手くいっていた時が多くありました。

もちろん、力業で強引に上手くいかせていた時が多かったのですが…(苦笑)

そんな中で、力尽きて上手くいかなくなるのではなく、まだ余力があるのに上手くいっている仕事を辞めることが何度かありました。

この時の感覚を思い出しました。

例えば、製麺会社で自分の希望通りの条件で働けるようになったのに、辞めてしまった時がそうでした。

希望が叶うと同時に、心に何かポッカリと「穴」のようなものが空くのです。

すると、その「穴」から言いようのない「不安」なようなものを感じます。

そうなると、希望がかなった現実が、本当は間違っているのではないかと思え始めます。

この「穴」は、なぜか日に日に大きくなり続けますので、「不安」も大きく感じるようになります。

あまりにも不安が大きくなるので、「ここに居るのは、間違っている」と思え、「辞めます」となります。

このパターンを、何度か体験をしました。

希望通りの現実なのに、その現実から背を背ける。

「自分はいったい何をしたいのだろう?」と、幾度となく思い悩みましたね。(苦笑)

若い時はまだ、時間があるからまだ良いと思えるのですが、年を重ねると良いとは思えなくなります。

すると、焦りが生じ始め、さらに思い悩むようになり、それを忘れたいがために、気を紛らわせるためにいろいろな事に手を出します。

そういえば、スキーにスキューバダイビング、ジェットスキー、ウィンドサーフィン、マウンテンバイク、バイクツーリングなど、多くのことにお金と時間を費やし、気を紛らわせていました。(苦笑)

特に、スキューバダイビングは、あと少しでインストラクターになれるところまで行きましたが、やはり止めましたね。(笑)

あ、余談になりました。(笑)

さて、この「穴」ですが、もちろん、これは気持ちを見失っていることで生じる「穴」です。

先ほど、「希望通り」と書きましたが、言い換えればこれは「目的」とも言えます。

気持ちを見失うことで持つ「目的」は、ある種「ゴール」になりやすくなります。

「ゴール」はゴールで、その先はありません。

目的達成するまでは、頑張れるのですが、目的を達成してしまうと、もうその先には何もありません。

「燃え尽き症候群」などと言われるのも、同じようなものではないでしょうか。

では、気持ちを見失っていなければどうなるのでしょうか?

例えば、「目的」は、どのように感じるのかといいますと、「途中経過」のような感覚です。

気持ちで過ごすときに観えるのは、「自分がどの方向へ向かおうとしているのか」であって、ゴールのようなものは観えません。

自分が向かおうとする方向の途中に「目的地」のようなものがあり、その「目的地」は、進む方向の「途中経過地」でしかなく、ゴールには全くなりません。

ですから、目的を達成しても、心に「穴」がポッカリ空くことはありません。

ほかの表現をすれば、「気が緩む」ことがありません。

表面的には、一喜一憂することもあるでしょうが、目的地到達と同時に、すぐに次の一歩を歩み始めています。

もちろん、目的地到達までに、無理に頑張ることもしていませんから、疲れることなく、次の一歩を歩むことができます。

また、疲れることがあっても、その疲れは心地よい疲れであって、次の一歩を妨げるものにはならず、心地よい余韻のように感じます。

気持ちを見失っているときは、最初からゴールに落とし穴を設置してゴールまでひたすら頑張って過ごすようなものでしたね。

落とし穴に落ちては、またゴールと落とし穴を設置して再び歩き始める。

今思い返しても、とても、キツイ生き方をしていましたね。(苦笑)

今では、あの心の「穴」も懐かしく思えますが、当時は言いようのない「不安」でいっぱいでしたね。

少し思い出したので、書き綴ってみました。

みなさんは、この「穴」感じたことはありませんか?

かゎら




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