受講者の方から、質問というか、私の意見を求められた時のお話です。
受講者の方をAさんとします。
Aさんが、ある時、ラジオを聞いていました。
あるお医者さんがパーソナリティをしていて、リスナーの方の質問などに答える15分程度の番組だったそうです。
その中で、以前、パーソナリティの方が「子供のころにいじめにあって、自分を守るために『心に鎧』をまとっていた。そして、その鎧で自分を守っていた」というような感じのことをリスナーの方が聞き、自分の子供(幼稚園生)にその「心の鎧」の話をし、子供にも心の鎧を着させてあげたいのですが、どのように伝えればよいのかアドバイスをお願いします。というような内容だったそうです。
Aさんは、パーソナリティ方が答えている内容を聞いても、よくわからなかったので、私に質問というか、意見を求めてこられました。
そこで私は以下のようにお答えしました。
そもそも、心に鎧を着せるのは、いじめなどに遭遇した時に自分が傷つかないようにするためです。
ということは、いじめられることが前提での「心の鎧」ですから、私でしたら「心の鎧」の話を子供にはしません。
いじめられることを前提ということは、日常生活の中で「いじめ」を意識して過ごすようになります。
意識して過ごすということは、「いじめ」を引き寄せる可能性が格段高くなります。
私は、子供に「いじめ」を引き寄せて欲しくはないのでそういうことはしません。
でも、「いじめ」にあう可能性はやはりあります。
ですから、子供には、「嫌なこと」「悲しかったこと」「辛かったこと」などがあれば、いつでもお話をしてほしいと伝え続けると思います。
そして、「どんなことがあっても、私がお前を守るからね。」とも伝えます。
もちろん、話してくれるまで待つこともあれば、子供に日常での変化などをしっかりと気づき、常に気に掛けることも行います。
そうしたコミュニケーションを行っていく中で、気持ちで生きることを自然と身につけさせることで、心が傷つくことはないこともしっかりと伝えていきます。
そうすることで、自分で自分をしっかりと守ることも身に着け、自立した人として生きることも出来るようになると思います。
と、Aさんにお答えしました。
心に鎧は、対処療法として活用する分には良いと思いますが、対処療法ではなく完全に身にまとってしまっている方が多くおられるように感じています。
もう、鎧というよりは、自分の一部という感じです。
そうなると、心の感覚は鈍くなり、何が自分なのかがわからなくなってしまいます。
元来、心は無色透明で、何ものにも傷つけることは出来ません。
心は、無敵です。(笑)
でも、気持ちを見失うことで、無敵の心も見失い、心が傷つくように錯覚してしまいます。
気を付けておきたいですね。
かゎら
追伸
「嫌なこと」「悲しかったこと」「辛かったこと」以上に、「うれしかったこと」「楽しかったこと」「面白かったこと」など、話してほしいとも伝え続けます。常に意識して過ごしてほしいのは、こちらですからね。(笑)