きっかけ---気持ちを見失っていた時の出来事⑤

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コラム

今回のお話は、屋根施工職人をしていた時の出来事です。

当時、私が主に屋根施工の仕事を頂いていた瓦工事店(A社)は、経営が少し傾いていました。

私も、そのままA社専属で仕事をしていたのでは、「やばい」と思い、専属をやめることをA社社長に伝えました。

すると、A社社長から、瓦工事店の改革を会社内部からやってもらえないかと打診されました。

それまでも、瓦工事店と職人さんたちの間に入り、結構意見など伝えていましたので、外部(職人側)からではなく、内部から意見を出し実際に変えていってもらえないかということでした。

このまま職人をしていても、先は暗く感じていたのと、少し「面白いかも」と思い、受けることにしました。

この時は、気持ちのままに選択したものと、気持ちを見失ったまま選択したものがかなり入り乱れました。(あくまでも、気持ちに気付いている今から観た判断です。)

その時に、一番ポイントになる場面で、私は気持ちを見失っていましたので、A社社長の依頼を承諾し、後々、ひどい目にあいます。(苦笑)

一つ目に遭遇したのは、「はしご外し」でした。

私は、社長の後押しがあると思っていたから、従業員さんや職人さん達と真正面から向き合い、従業員さんや職人さんが聞きたくないことも伝え続けて前に改革を前に進めていました。

よく「なんで自分がここまで嫌われ者にならなければならないのか…」と、思っていましたが、やり始めたことなので最後までやり通さなければと踏ん張っていました。

そして、一つ目の重要ポイントとなる場面がやってきました。

従業員全員から私に対しての不満が頂点に達し、社長に直談判が行われました。

私は、社長に私がしようとしていることや、していること、方向性などはよく伝え、その都度、社長からも承諾を得て進めていました。

ですから、従業員から社長への直談判があったときに、「よし!ここで社長が私の後押しをしてくれれば、一気に前に進む!」と、思っていました。

が、しかし、直談判の行われた瞬間、社長が口にしたのは、「○○君(私)、席を外してくれないか」でした。

私は直観的に「あ、社長は私を切るな」と感じました。

席を外し、社長と従業員が小一時間ほど話したのちに、私は社長室に呼ばれ「○○君、申し訳ないのだがここまでにして欲しい」と告げられました。

完全に、はしごを外された瞬間でした。

とてもショックではありましたが、少しスッキリもしていました。

スッキリというよりも、安堵かもしれません。(笑)

重要なポイントではありましたが、あのまま突き進めば、さらにきつい道がまだ続くのは想像していたので、それからの解放感だと思います。

しかし、はしごを外された事実は、釈然としませんでした。

職人を始めるまでの人生の中で、どんなに信頼できる人でも「絶対はない」を経験していましたので、A社長からのはしご外しも、さほど精神的には参ることはありませんでしたが、あんなに改革を望んでいたと思っていたのに、なぜ引き返すのあだろう?と、いつまでも釈然しないままでした。

この後も、このA社長からはしごを外されるのですが、なぜか、そう腹を立てることなく、A社長の依頼を引き受けていました。(報酬だけは、きちんと支払って頂けていたので、社長のはしご外しさえ気にならなければ問題なく付き合うことができました。笑)

そして、ある時、ついに釈然としなかったことに対する答えに気付く瞬間がやってきました。

ある会合に、社長と二人で参加し、車で高速道路を使い帰っている最中に、何気なく会話をしていた瞬間に、社長がポロっと話した一言が、私が知りたかった答えだとわかりました。

社長は、「私の代でつぶしたくない」と言われました。

瓦工事店は、今の社長で4代目で、地元では結構老舗の瓦工事店でした。

ですから、4代目の自分の代でつぶしたくはないとポロっとこぼしたのです。

その時に、私はなぜか「だからか!」と、とても得心したのを今でもよく覚えています。

この瞬間は、気持ちに気付いている瞬間だったわけです。(笑)

社長は、会社を大きくしたい、発展させたい、改革したいとは、本気で思っているのではなく、本気で思っているのは「自分の代でつぶしたくない」だったのです。

従業員全員が社長に直談判した時に、社長に「私たちを選ぶのか、○○君を選ぶのかはっきりしてください!」と、言われたそうです。

もし、仮に社長が○○君を選ぶといった場合、従業員全員に辞められるとたちまち会社が回らなくなります。

そう、会社がつぶれるかもしれません。

もちろん、会社をつぶすために改革を行っているわけではなく、会社を改革しさらに発展させるために行っているのですが、決断する時の判断材料は、残念ながら、気持ちを見失っていようがいまいがその時に自分が心底握っている「想い」となります。

「自分の代で会社をつぶしたくない」が、判断材料になりますから、つぶれるかもしれない○○君(私)には、去ってもらうことがベストになります。

「なるほどなぁ~!」と、とても得心しました。(笑)

それからは、社長にはしごを外されることはなくなりました。

なぜかと言いますと、はしごに乗らなくなったなったからです。(笑)

何かを打診されても、はしごに乗る振りはしますけど、乗ることなく淡々と仕事をこなし続けました。

いろいろな出来事があり、今の仕事は43歳くらいの時に専業でするようになるのですが、その後瓦工事店はどうなったかといいますと、やはり「倒産」して(つぶれて)しまいました。

「自分の代でつぶしたくない」の根底にあるのは、「つぶれる」です。

「つぶれる」が根底にあるから、「つぶれるかも」と考え、「つぶしたくない」と思えます。

「つぶしたくない」は、一見、「つぶれない」ように見えるのですが、実際には上記の「つぶれる」が基礎になった発想です。

特に、日常の中で重要な判断局面に差し掛かると、必ず判断基準として使われます。

「つぶしたくないから、これを選択すれば、つぶれることはないだろう」などと思うわけです。

確かに、今すぐにつぶれることはないかもしれませんが、「つぶれる」から派生した選択をし続けると、やがてどうなっていくか、少し想像してみてください。

ネガティブな思いを否定することで、ポジティブな思いになるように思えるのですが、現実はそうではありません。

ネガティブな思いを否定しても、根っこはネガティブのままです。

だらしない親を見て、「私はあんな親のようにはならない」と思いながら、親と同じような親になってしまう。

日常の中で、よく見る光景です。

今回のお話のオチは、私が気持ちを見失っていることで、社長の本心に気付けなかったことで起きた出来事でした。ということです。

気持ちを見失っていると、テレビのドラマのような出来事が起きますね。(笑)

テレビのドラマであれば、楽しく見ることも出来ますが、自分の人生で起きるのは嬉しくはないですね。

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