絞り込み条件を変更する
検索条件を絞り込む
有料ブログの投稿方法はこちら

すべてのカテゴリ

3 件中 1 - 3 件表示
カバー画像

【かんなぎの本音】本当は霊能者って名乗りたくないんだけれども、どうしようもないから名乗っている【独り言】

本当は霊能者って名乗りたくないんだけれども、どうしようもないから名乗っている これは心底の私の本音である。 「霊能者」って自分で言う? ずっと、そう思いながら「霊能者」と名乗っている。 とにかく私は、私がなんだか偉そうに見える事は昔から好きではなく・・・。 じゃあ別の肩書なら良いのか、と言われれば、それもなかなかに難しい。 占い師?いや、占い師とも違う。 スピリチュアルカウンセラー?うーん、イメージじゃないな。 一時期、考えていただいた、ターニングポインター、というワードも使わせていただいていたのだが、 それもまた、そんなに人に偉そうにターニングポイントとか言っていいの?となって一旦下げた。 カウンセラーは、プロの仕事だと思っている。ユーキャンあたりでちょっと通信講座をやった程度の人が名乗っては欲しくない。 よって、私ももれなく名乗る権利はない。 全くの別ジャンルだが音楽療法士もそうだ。音楽療法士もプロの仕事であり、ちゃんとした人が名乗って欲しい。 ・・・日本って国は、その辺が曖昧なんだよね。 自称でも名乗れちゃうところってすごくあるんだよね。 でも、せめて私だけでも、そこをちゃんと意識していればいいのかな、と思っている。 私がSNS等で一方的に応援していたり繋がらせていただいている様々な方は、皆さんちゃんとした方というか、地に足が着いている方ばかりで、まずもってキラスピっていないし、間違っても陰謀論にも流されないし、変なアイテムを買う事もない方々で、安心して見ていられる。それに、知名度もついている方ばかりだし、まあ、なんというか、私がここで心配なんてしなくていいんだよね、とい
0
カバー画像

価値観が異なる人との対話を通じ、見えない世界を見る

世の中には、価値観が近い人はいますが、価値観が同じ人(完全に一致する人)は誰一人いません。価値観が同じだと思う人がいるとしたら、それは、相手があなたの価値観に合わせる言動をしているか、若しくは、“自分が相手を見る目”にフィルターがかかってそう見えているだけです。価値観が違うということは、見えている世界、見ている世界がそれぞれ違うということ。何を重視するのか何を軽視するのか、何が好きか何が嫌いか、何に反応するか何に反応しないか、何を詳しく知っているか何を知らないか、何を熱く語るか何に冷めているか、・・・自分と価値観の近い人ばかりと付き合っていたり、自分と価値観が違う人の考えを否定・批判し遠ざけていると、ストレスがなく居心地は良いのですが、見える世界が狭くなります。仕事をしていると、自分と異なる意見を言う人に出会うことが多いと思います。相手が意見を言っている最中に、どうやって相手を説得しようとか、どうしたら自分の意見をわかってもらえるのか、という姿勢で聞く人がいますが、それは、自分の価値観、つまり、その時に自分が見えている世界を広げず自ら殻に閉じこもるようなものです。これでは、せっかくの「世界を広げるチャンス」を潰してしまいます。まずは素直に相手の意見を深いところまでとことん理解する。そうして見える世界を広げてから、その上で、どうしたらよいかを再度考える。これを意識すると、考えや立場が違う人と積極的にコミュニケーションをとるようになり、視野がどんどん広がり、より高い視点でものごとを見ることができるようになっていきます。最後まで読んでいただきありがとうございます。このことから、少しで
0
カバー画像

今見える世界は自分の作り出した世界

仕事のやり方がとても雑で汚い人がいる。とても嫌だ。 止せばいいのに、職場でこんな嫌な人がいるといつもその人のことばかりを見ていた。嫌なら見なければいいのに、とにかく気になって仕方がない。 嫌なものなのに見たいという心理は不思議だ。 人間は元々、プラスとマイナスがあれば、マイナスに惹かれるものかもしれない。「どんな人にもいいところがある」と理性が自分の怒りを制しても、目につくのは、その人の嫌な所ばかり。 そして、その初めの小さな嫌な所がやがて大きな嫌悪感へと成長していく。その人の行いだけでなく、その人そのものへと的が大きくなっていく。 標的を成長させたのは自分の身勝手な空想力かもしれない。 「こんな仕事を雑にする人だから、きっとその他のことも雑に違いない」、勝手にそう思って、せっせと同僚から納得するための都合のいい情報を集めていた。 イライラが続いたある日、ふとしたことに気づいた。 自分以外の周囲の人に、この人の行動は、本当はどのように映っているのだろうか。 その人の行動に関して、同じような情報が集まっていたから、周囲の人も全く同じように感じている、嫌な思いをしていると、勝手な安心感を育てていたのではないだろうか。 疑問はやはり当たった。 聞いてみると、その嫌さ加減が人によって様々だった。 当たり前のことだ。でもそんなことに気づかなかった。私の意識が嫌な人ばかりに集中していたためだ。 今自分が見ている世界は、自分の作り出した世界であることに気づいた。 人の眼は、カメラのレンズの様に物理的にあるがままの世界を映りだしていない。興味のあることには、それが大きく拡大され、興味の無いもの
0
3 件中 1 - 3
有料ブログの投稿方法はこちら