【かんなぎの本音】本当は霊能者って名乗りたくないんだけれども、どうしようもないから名乗っている【独り言】

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本当は霊能者って名乗りたくないんだけれども、どうしようもないから名乗っている


これは心底の私の本音である。

「霊能者」って自分で言う?

ずっと、そう思いながら「霊能者」と名乗っている。

とにかく私は、私がなんだか偉そうに見える事は昔から好きではなく・・・。
じゃあ別の肩書なら良いのか、と言われれば、それもなかなかに難しい。

占い師?いや、占い師とも違う。
スピリチュアルカウンセラー?うーん、イメージじゃないな。
一時期、考えていただいた、ターニングポインター、というワードも使わせていただいていたのだが、
それもまた、そんなに人に偉そうにターニングポイントとか言っていいの?となって一旦下げた。

カウンセラーは、プロの仕事だと思っている。ユーキャンあたりでちょっと通信講座をやった程度の人が名乗っては欲しくない。
よって、私ももれなく名乗る権利はない。
全くの別ジャンルだが音楽療法士もそうだ。音楽療法士もプロの仕事であり、ちゃんとした人が名乗って欲しい。
・・・日本って国は、その辺が曖昧なんだよね。
自称でも名乗れちゃうところってすごくあるんだよね。
でも、せめて私だけでも、そこをちゃんと意識していればいいのかな、と思っている。

私がSNS等で一方的に応援していたり繋がらせていただいている様々な方は、皆さんちゃんとした方というか、地に足が着いている方ばかりで、まずもってキラスピっていないし、間違っても陰謀論にも流されないし、変なアイテムを買う事もない方々で、安心して見ていられる。

それに、知名度もついている方ばかりだし、まあ、なんというか、私がここで心配なんてしなくていいんだよね、という感じである。
つまり、ただの大きなお世話、という事になるな。

というわけで、人様の心配をしている暇があれば自分の心配をしろ、という事なのだが、そうだな、「鑑定師」という言葉も、「霊能者」と同じぐらい、実は名乗りたくない。
鑑定師って、すごい目利きみたいじゃん。曜変天目を見つけちゃって大騒ぎするみたいな。

いや、その鑑定士じゃないのは分かってるんだけど、プロ感あるじゃん。
・・・どんだけ自分に自信がないんだよ・・?
いや、自信がないというよりは、自分を大きく見せる事にとても抵抗があるというのが正しいか。


「先生」はいいんだよ、便宜上そのほうが楽だと思っているから。


「先生」、って呼んだほうが楽じゃん、だから「先生」はいいと思っている。
「かんなぎさん」とか呼びにくいし、名前をど忘れしても問題ないし、「先生」って言っちゃった方が楽だもの。

私は人の顔と名前を覚えるのがとても苦手という特性があるので、それが楽、って思うからなおさら。
何度も名前を間違えてしまったり、言葉に詰まってしまったり、そこに気を使うぐらいなら、「先生」っていう便利な言葉を使った方が、相談もスムーズだよねって思う。

私はきっと、人に相談するなら、名前の事で苦労するより「先生」って呼んだ方が楽だ。

それに、「先生」という言葉に思い上がるような性格はしていないので、そこは安心して欲しい。
そんな言葉で思い上がるなら、もうとっくに思い上がって大変な事になっていると思う。

逆に、「先生」と呼ばれたぐらいで舞い上がるようだったら、そもそもこの業界に向いていないとも思う。


「霊能者」って言うとなんだか感じる、ドン引き感。


「霊能者」って言うと、なんだか「へえ・・・」みたいな空気を感じるんだよね。

それは世間でまるで教祖めいた事をやっている霊能者たちの言動によるフィルターだと想うんだけど。
なので、言うこちら側もなんだか、「ドン引きしながら言う」みたいな空気になっていて、自分でドン引きしながら言って、相手もなんだかドン引きしているという謎の空気が生まれる。

想うに、普通にご飯食べたり友達と話したりおやつ食べたりしているのに、
それを隠して神聖化ばかりしようとするから偏見が生まれるんじゃなかろうか。

イメージ戦略としては、そうやって神聖化した方がいいのかもね。
ありがたいと想う人も居るだろうし、信者化する人もいるだろう。
いつもいつも、崇高なメッセージばかりをお告げのように出している人達、
歩けば不思議な写真が撮れ、聖地に行けば歓迎のメッセージを受け取る、
そんな人が世間一般では「すごい霊能者」なんだろう。
光の加減でどうにでもなる写真はもう見飽きたし、全然関係ないメッセージを取ってアップしているのも見飽きた。

けれども、結局、そういうセルフブランディングが上手な人が、お得なのだろう。

いや、その分、スピリチュアル業界に対しての偏見も増えるんだけどね。

で、自分がそれをやれるかっていうとやれないわけで、もちろん、世の偏見を屁とも思わずやった方がわかりやすいのかもしれないけれども、そういう方向に行こうとするとモヤモヤどころかものすごい抵抗が起きるわけで。

という事は明らかにそういうのは向いてないんだろうな、と思い、神社仏閣に行っても特段メッセージを添えるわけでもなく、淡々と神社をアップしているわけだ。

正直、神社仏閣については、もう少し歴史的考察を加筆した方が良いなと想うぐらいで、これから先も、「なにやらありがたいお言葉」を添えることはないと想う。そういう時のメッセージがどうだとかそういうのは、内輪での話でいいと想うんだよね。


前々から言っているように、霊能者なんてただの職業の一つ。


前々から言っているように、霊能者なんてただの職業の一つで、なのに強烈にフィルターがかかった職業なのも自覚していて、だから、本当は名乗りたくない。

それだけで、他人との壁ができるような、そんな気持ちになるから。

でも、じゃあ、自分の職業は?と聞かれたら、やっぱりそうなので、そう名乗るしかない。

「だってしょうがないじゃないですか!日本語だと霊者なんですから!」

そういう気持ちになりながら言うしかない。

「なんでも見えるんでしょう?」
「なんでも見えません」

「すべて見透かしているんでしょう?」
「見透かしていません」

「未来もすべて見えているんでしょう?」
「それなら本を書くかYou Tubeで予言を公開しています」

地震雲・陰謀論・イルミナティ・ノアの方舟・アセンション・・・・
陰謀論は楽しい。

なんだったら小学校の頃から「ムー」の愛読者だし。

だけど、それを主体に発信し、それを知っている自分が優位、という考えは自分には無い。
そういうのはキャッキャウフフしながら楽しむものだと思っている。
良く分からない銅線コイルにも興味がないし、良く分からないセラミックプレートにも興味がない。
私自身は、病気ならまずは医者にかかって、適切な治療を受け、それから考える。


霊は怖くない。神も怖くない。

でもそれは、例えば沢山のオペをこなしてきた医者が、内蔵を見ても平気なのと同じではないだろうか。

子供の頃からそういう世界に居たのだから。怖くなくて当たり前なんだと想う。

つまり自分にとっては日常の中の一つであるものであり、得意なものであり、
ただ、それをドヤ顔で発信する事が恐ろしく苦手な自分がいる、それだけの事なんだとは想う。

霊的事象は、霊的事象だけで片付けない事はとても大事な事で、それと現実的視点を繋げていかないと、間違いが起こりやすくなる。
自分が取ったメッセージは、必ず数回は疑ってかからないといけない。
それを、全て神からのメッセージだと捉えるのは、地に足が着いていない証拠だと想う。

地に足が着いていないようであれば、それは間違いを生み、依頼者にも迷惑をかける。
そうして、いつか自分にも影響が出る。

だから、そういうものに関して、私はとても慎重に確認作業を繰り返す。

これが職業なら、相手に迷惑をかけないようにするのも仕事の一つだよね。
何度も言うが、神はそんなにべらべらと喋らない。
その情報をつなぎ合わせて謎解きをしていくこともまた大事な事で。
そのために日々自分をアップデートすることも、やめてはいけないんだと想う。
苦手な日本史も、古文書も、目をシパシパさせながら、頭痛と戦いながら、学び続けている。

でも、

「分かるものは分かるんだし、見えるものは見えるんだからどうにも説明しようもない。」

と、色々、こうやってます、と書いても、やはり抵抗は消えないんだよ。

なので、「本当は霊能者って名乗りたくないんだけれども、どうしようもないから名乗っている」という事にはなんら変わりがない。

これからも、この抵抗感を持ったまま、自分も相手もドン引きしている空気を感じながら、私はここにいるんだろうと想うよ。
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