感じ方の“度合”は、人の数だけ違うから
日々の生活の中で、
心が揺れる瞬間は誰にでもある。
悲しみも嬉しさも、落ち込みも変化も──
その“深さ”は本当に人それぞれ。
でも私たちはつい、自分の感じ方を基準に、
他人の心の中まで同じだと
思い込んでしまうことがある。
「度合(どあい)」という言葉を調べると、
“ある物質の深さや濃さ、
状態のちがいをあらわす言葉”
と書かれている。
でも、思うんです。
その“度合”って、
本当はひとりひとりの心の中で
決まるものなんじゃないかと。
悲しみの深さ。
嬉しさの大きさ。
怒りの強さ。
楽しさのひろがり。
努力の度合、落ち込みの度合、変化の度合、
親密さの度合──。
同じ出来事でも、
感じ方は人によってまったく違う。
だからつい、こう思ってしまうことがある。
「あの人、そんなに悲しんでないみたい」
「私はまだつらいのに、あの人はもう前を向いてる…」そんなふうに感じるとき、
自分の感覚や、
相手の“見えている部分”だけを頼りに
判断しているのかもしれない。
でもね、
人の心って、見えないところに
そっとしまいこんでいるもののほうが多い。
外では平気なふりをしながら、
胸の奥では
まだ痛みを抱えている人だって、
たくさんいます。
もしかしたら、あなたにもあるかもしれない。
言葉にならないまま、
そのままそっと抱えてきた何かが。
そう思えるようになると、
「自分の回復の早さ」を誰かと比べて落ち込んだり、「相手の心」を見た目だけで決めつけてしまうことが、少し減っていく。
心の度合は、誰にも測れないし、測る必要もない
それは、あなたの心が感じたままでいい。
だからこそ、
見えない痛みがそこに
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