「そんなの綺麗事でしょ」と無責任さにうんざりする
「そんなの綺麗事だよ!」ってうんざりすることありませんか?特に目の前に嫌なことばかり起きるとき大変な状況のときなかなか思うようにいかないときそこから抜け出すための手立てについて情報や考え方、取るべき行動について聞いたり、見たとしてもそれは頭では分かってるけどそんな簡単じゃないんだよと反発したくなることがあると思います。綺麗事を嫌う心理がはたらく理由の一つとして何かしらの「我慢」がつきものになるイメージがありませんか?例えば「こんなことがあってさ、すごく嫌だったんだ」といった話を友達や家族にした時に「そんなの気にしなければいいだけじゃん」とかもしくは「もっといい所を見たらいいんじゃない?」みたいな言い回しをされたら時に本質のようであっても綺麗事のように感じて受け入れ難いでしょうそれは「嫌だった」という感情を飲み込めばいい自分が我慢すればいいということを勧められたような気分になるでしょう。そんな上辺だけを取り繕ったいい人を演じることは根本の解決にならないことをちゃんと分かっている。だからその言葉が無責任に感じるし受け入れたくないでも目の前に嫌なことが起こっていて今の状況、嫌な気分から抜け出したいのは何より大切な自分ですからだからこそ、あなたの納得のいくバランスを見つけ出す必要がありますね。だって人は「納得できたこと」「そうかもしれない」「そっちのほうがいいかもしれない」と思えたことでないと価値観を変えたり行動に移す気すら起こらないでしょう。その嫌な気分から抜け出していくため「これなら納得できる」というアイディアを一緒に探していきましょう。日々のちょっとしたモヤっとでもぜひお聴かせく
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