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運命の人など存在しない

タイトルを見て、少なからず驚いた人がいるのではないでしょうか。 現在の日本人の多くは「運命の人」がいると信じ、出会いを求めています。 しかしアドラーは、「運命の人」を明確に否定しています。 その理由としてアドラーは、「全ての候補者を排除するため」だと述べました。 出会いがないと嘆く人も、じつは毎日のように多くの誰かと出会っています。 この多くの誰かとの出会いを、何かしらの関係に発展させるには、一定の勇気が必要になります。 そこで、関係を築く勇気をくじかれた人や勇気がない人が結果的に、「運命の人」という幻想にすがりつくのです。 目の前に愛すべき誰かがいるのに、あれこれ理由を並べて「この人ではない」と退け、「もっと理想的な、もっと完璧な、もっと運命的な相手がいるはず」と可能性に生き、目を伏せるのです。 アドラーはこのような人たちを、「ダンスホールの壁際に立って、ただ踊る人たちを傍観している。こんな自分と踊ってくれる人などいるはずがないと決めつけ、運命の人をただ下を向きながら待っている人」と述べています。 しかし実際に、「運命の人」と結婚を決意したと言う人たちがいますが、そのような人たちをアドラーは運命を信じることを決意しただけだと述べています。 またフロムも「誰かを愛するという事は単なる激しい感情ではない。それは決意であり、決断であり、約束である」と述べています。 アドラーは「運命とは、自らの手でつくりあげるもの」と述べています。 あらかじめ定められたものではなく、偶然に降ってきたものでもなく、ふたりの努力で築き上げてきたものであるはずです。もっと詳しく聞きたい方はぜひ一度ご連絡く
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愛の本質を間違えている日本人

愛について容易な意見や技術を学ぼうと、私のブログを見てくださった方は、非常に悲しいですが失望することになると思います。 多くの人は、愛について何も理解しておらずまた、自分自身で学ぼうともしていません。 先に述べておきますが、愛は技術です。 たいていの人は愛の問題を、愛の問題、愛する能力の問題としてではなく、愛されるという問題として捉えています。 メンヘラと呼れる人たちを例にして考えてみましょう。彼らは愛されるためだけに生きているといっても過言ではありません。 彼らはパートナーを愛するのではなく、愛されたいがために浮気や複数のパートナーがいるのは愛されたいだけだからです。 しかし、これはメンヘラだけにとどまらず、多くの人が実際に大きく勘違いしています。 復唱すると愛は技術です。 技術だとしたら、知力と努力が必要になります。 つまり、愛される人間になるのではなく、愛することができる人間になれなければなりません。 今後のブログの内容では、その具体的な内容について触れていきたいと思います。当ブログは、私が個人的に行っているブログをコピーした内容です。Abemaブログ「進撃のマナブ」から引用したものです。
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