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……君、あのときもそんな顔してたよな

六月の風は、もうすっかり夏の匂いがしていた。大学の講義を終えて、駅へ向かう坂道を歩きながら、俺はふと立ち止まった。どこか遠くから、蝉の声が聞こえた。あの日の教室の窓を開けた時と、まったく同じ風が吹いていた。「……もう、夏か。」心の奥でつぶやいた。その瞬間、夕焼けの中で笑う彼女の姿が、ふっと蘇った。卒業してから、三ヶ月。もう制服も、校舎も、日常の景色から消えた。それでも、机の引き出しの奥にはひとつのノートが残っていた。ページを開くと、にじんだ文字と桜の花びらの跡があった。指先でその跡をなぞりながら、俺は小さく笑った。「ありがとうの続きは、風の中に。」その一文を見ていると、不思議とあの日の光と風の感覚が戻ってきた。そして、ノートを閉じようとしたとき、ページの間から、何かがふわりと落ちた。それは、まだ彼女がいた頃のクラス写真。そして、その写真とともに――小さな白い折り鶴が、そっと挟まっていた。「……あの日のままだ。」写真の端には、少し照れくさそうに笑う彼女。その笑顔を見つめながら、俺は鶴を手のひらに乗せた。そのとき、窓の外で風鈴が鳴った。どこかの家の軒先から、風が透明な音を運んでくる。「……また、会えるのかな。」言葉にした途端、頬を撫でる風が、少しだけ温かく感じられた。坂の途中で立ち止まった俺は、財布の中にしまっておいた折り鶴をそっと取り出した。折り目はすっかり柔らかくなっていたけれど、形は崩れていなかった。その小さな鶴を見つめながら、俺は空を見上げた。青空の向こうで、彼女が笑っている気がした。想いは終わらない。季節が変わっても、風は同じ場所を通り過ぎる。
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……聞かせてよ、ちゃんと。その続きを。何度でも

風が吹いた。制服の裾が揺れ、彼女の髪がやわらかく宙を舞う。なにも言わずに立っていた僕の前で、彼女は夕陽を背に、ふっと息を吸った。「……ありがとうの続き、聞いてくれる?」その声は、風と一緒に届いた。触れられないくらい小さくて、だけど、耳じゃなく胸の奥に落ちた。何を返せばいいかわからなかった。うなずこうとしたのに、喉がうまく動かなかった。「ねぇ――」彼女は空を見たまま続けた。「昨日ね、傘を貸したの、私じゃないんだ。 本当は……助けられてたの、私のほうだったのに」僕は息を呑んだ。「雨、好きじゃなかった。 でも昨日、あなたが “ちゃんと濡れて” くれたから…… ――少しだけ、好きになれそうだって思ったんだよ」夕陽のせいにできないくらい、彼女の横顔は、泣き出しそうな笑顔だった。ありがとうって過去の言葉じゃなかった。これからも、一緒に続いていく言葉だった。僕は、ただひとことを絞り出した。「……聞かせてよ、ちゃんと。 その続きを。何度でも」彼女は目を伏せて、そして――小さく、小さく、うなずいた。「……じゃあ、終わらせないでね」風が、強くなった。傘はもう、返せないと思った。
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まだ“ありがとう”の途中でしょ?

「まだ“ありがとう”の途中でしょ? あなたも」そう言って微笑んだ彼女の顔は、不思議なくらい静かだった。泣いているわけじゃない。でも、目の奥では、何かが揺れている。波打つ水面を、必死に押しとどめている――そんな目だった。僕は何かを返さなきゃと思ったのに、言葉がどこにも見つからなかった。風が吹いた。彼女の髪と、僕の制服を揺らしていく。夕陽に染まる屋上で、僕らはたった一本の傘を挟んで立っていた。返せば、ここで終わる気がした。返さなければ、何かを期待してしまいそうだった。――どちらも、怖かった。沈黙のまま、僕は傘を握っていた手を、そっと降ろした。「……じゃあ、もう少しだけ」ただ、それだけを言った。彼女は驚いたように瞬きをして、それから、本当に小さく、今度こそ泣きそうな笑顔をした。「うん。……ありがとうの、続き、聞かせてね」その瞬間、胸の奥で何かが外れる音がした。言えなかった言葉たちが、心のどこかで息をしていた。ありがとう と言いたいのに。ごめん と言いたいのに。でも僕らは、どちらもまだ何も言っていなかった。――そうだ。ありがとうって、終わりの言葉じゃなかった。本当は“これから”の言葉だったんだ。次に会うとき、僕はもう少しだけ、素直になれるだろうか。傘は返さない。まだ、僕たちは途中だから。
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