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密教の灯が照らす、心の闇と「生き直し」の道

 現代を生きる私たちが直面する「うつ」という深い心の闇。出口の見えないトンネルの中にいるような苦しみに対し、真言宗の教えは、千年以上も前から変わらぬ慈悲の光を投げかけています。 真言宗の大きな特徴である「加持祈祷」は、決して迷信的な儀式ではありません。それは、仏の慈悲(加)と私たちの信心(持)が共鳴し合う、魂の対話です。自分一人の力ではどうにもならないという無力感に打ちひしがれるとき、仏という大きな存在の加護を感じることは、張り詰めた心をそっと緩め、深い安心感を取り戻す一助となります。 真言密教などの寺院で今も行われている心の病への祈祷は、目に見えない不安を払う、現代で言うところの「ヒーリング」としての役割を立派に果たしているのです。 また、真言宗には「阿字観」という独自の瞑想法があります。深く静かな呼吸と姿勢の調整は、科学的にも自律神経を安定させ、ストレスを軽減する効果があると言われています。 しかし、その真髄は技術以上に、その哲学にあります。「自分の中にこそ仏がいる」と説く即身成仏の教えは、うつ病特有の「自分には価値がない」という認知の歪みを優しく解きほぐし、本来の自分へと立ち返るきっかけを与えてくれます。 興味深いことに、開祖である弘法大師空海自身も、生涯で三度のうつ状態を経験したという説があります。 私たちが仰ぎ見る偉大な先達もまた、同じ暗闇を通った―― その物語は、孤独な闘いを続ける人々にとって、何よりの共感と希望のメッセージになるはずです。うつ病を単なる「マイナスな病気」としてではなく、魂が新たな声をあげている証、あるいは「生き直しの契機」として捉え直してみる。 四
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脳を書き換える「真実の言葉」——密教と精神のアップデート

 以前のコラムで、私は「心」というものを、脳の神経細胞が織りなす電気信号の結果であると述べました。いわば、脳という「ハードウェア」の上で駆動する「ソフトウェア」のような存在である、と。 この仮説を、私は自らの身をもって体験したことがあります。 真言宗や天台宗といった密教の宗派では、炎を焚き、加持祈祷を行います。なかでも真実の言葉を意味する「真言(マントラ)」は、単なる祈りの言葉ではなく、一字一句に広大な教えが封じ込められた「聖なるコード」のようなものです。密教の修行の中核には、「三密(さんみつ)」という教えがあります。 これは、手に印を結ぶ「身密(しんみつ)」、真言を唱える「口密(くみつ)」、そして心に仏を観ずる「意密(いみつ)」の三つを指します。私たちの身体・言葉・意識の働きを仏のそれと一致させることで、凡夫である人間がその身のまま仏と一体になる(即身成仏)という極めて実践的なメソッドです。 私が師僧のもとでうつ病の患者として加持祈祷を受けたとき、この三密の力が共鳴したのか、実に不思議な感覚に襲われました。師僧が唱える真言が、「耳」ではなく「脳」というハードウェアに直接響き、まるで新たなプログラムをインストールしているかのような「カチカチ」という音を感じたのです。 真言、すなわちマントラが、高度なプログラム言語として私の脳に直接書き込まれていく。 それは、乱れた脳内が一度白紙に書き換えられ、美しくフォーマットされていくような感覚でした。 もちろん、これはあくまで私個人の主観的な体験に過ぎません。 しかし、師僧との間に強い信頼関係があり、仏を深く信じ、授かった真言を愚直に唱え続
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貧乏寺の住職

昨年の6月、貧乏寺の住職を引き継いだ。貧しいどころではなく、全く収入のないお寺でした。まだ1年にも満たないことです。それでも動き出せば、徐々に人は集まるものですし、人が集まればお金も動き出します。お布施をいただき、お寺の収入がゼロではなくなりました。仏さまは、現実的、具体的にも我々をお救いくださいますことが、よく分かります。大きなお寺を世襲して、なんの努力もせず、苦労もなく、仏道から離れて、経済的に裕福であることに胡座をかいて生きる者よりも、多くを学ぶことが出来ています。有り難いことで一杯です。何より、私が拝むことで、依頼者が喜んでくれることが嬉しいし、喜びを感じます。それは、ココナラ経由でお申し込みの「顔が見えない相手」でも同じことです。幸せなことです。
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事故物件で

めずらしく東京に出張してきました。不動産屋さんからご依頼で、事故物件でお亡くなりになったかたの供養と、残置物であるお仏壇のお性根抜き(撥遣作法)です。残置物の残る部屋は、ご生前の生活が伺えます。そこから、お亡くなりになった方に思いを馳せ、丁寧に読経して供養させていただきました。このように、事故物件に赴き、お亡くなりになった方を供養したり、お部屋を浄化したりする僧侶は少ないです。どこに依頼すればよいかと、探されている方もいらっしゃいます。ココナラからも、このような依頼を受けられるようになればよいのですが、残念なことにルール上、無理なようです。
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多拠点生活

和泉大黒堂で加持祈祷を行っている僧侶です。現在は、週のうち2〜3日を和泉大黒堂で過ごしています。その他の日は、お亡くなりなった方の供養のため、ご家庭や事故物件などに出張したり、相談や社会の福祉のために従事したりと活動が多岐に渡るため、交通の弁の良いの別の場所にも拠点を構えています。毎朝のお勤めに関して言えば、和泉大黒堂では大黒天の観法(メディテーション)を修し、その後、読経をしています。別の拠点では、荘厳が不足していることもあり、略式の不動明王の観法と、大黒天の観法を修しています。略式と言っても、二座あるので都合30分ほどは瞑想していることにはなります。この略式の方法は、泊まりで出張に出た際にもできることなので、どこに行っても瞑想できると、知ったときには喜んだものでした。一定の場所に留まって、日々、しっかりと瞑想したいと思うのですが、現実的にはなかなか難しい状況。いろんな場所に出向いて行って、人さまのご要望に応えていくことも仏道だと考えていますので、和泉大黒堂にずっと居るわけにもいかにのです。神仏や心霊といった不思議なことには瞑想が必要だし、瞑想ばかりしていると人さまには会えないし、というバランスの求められる日常。身体が元気なうちは、いまの生活スタイルが続きそうです。
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琉球古神道にふれる

琉球古神道が知りたいと、沖縄に行ってきました。神人(かみんちゅ)さん、ユタさんにお会いし、世界遺産にもなった斎場御嶽(せぇふぁうたき)や神の島と呼ばれる久高島にも行ってきました。密教の中には、アニミズムもシャーマニズムが内包されていますが、琉球古神道は、まさにそれでした。祈りを中心として生活し、聖域を大切にし、古からの習慣がいまもなお続いています。御嶽などの聖域は、特別な空気感がありました。自然の中にあっても堂内と同じです。大和国でも磐座が神さまが在所として扱われますが、それは琉球でも同じですし、大きな岩には何かあるのでしょうね。「神さまの代替わり」について神人さんからお聞きしましたが、仏教においても天部の神さまは欲界の中にいて、人間よりも長寿であっても輪廻の対象ですから、代替わりはあるのでしょう。沖縄で学んだこと、たくさんあります。私にはたくさんの役割があると、神人さんから言われました。「代替わりの時ですし、忙しくなりますよ」と。私が、代替わりお手伝いをするようです。役割であるなら、喜んでお手伝いしますが、それをどのようにするのかは、まだ謎のまま。沖縄で善い刺激をもらって帰ったきたので、これから瞑想や加持祈祷で活かしていこうと思います。
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祈りの効果

依頼を受けて加持祈祷を行っていますが、時に稀に自分の願いを祈ることもあります。私は、なかなか子を授かることができずにいました。といって、妻も不妊治療などをすこともなかったのですが、漠然と「子どもが欲しい」と願っていたのです。ある時、「子どもが欲しいのであれば、1年間、犬鳴山に通って滝行をしなければ」と頭に浮かびました。犬鳴山は、正式には七宝瀧寺と言い、斉明天皇7年(661)に役行者が開基された大府泉佐野市にある不動明王を本尊とする真言系の本山です。同じように、不妊で悩む方からのご依頼で祈祷した際には、たった一度のご祈祷でご懐妊したこともありました。でも、なぜだか頭の中に「1年間」と浮かんだのです。そこから、月に1度のペースで犬鳴山に通い、滝行しながら子宝に恵まれることを祈りしました。真冬の凍てつく寒さの時期でも、僧侶には行場を開放してもらえるので続けることができます。これをきっちり1年続け、ほどなくすると妻が長男を身籠りました。予定より少し遅れて出産。誕生日は28日。不動明王の御縁日です。その小さかった生命は、今では日本一のチームでスポーツに励み、まるで不動明王のように筋骨隆隆のアスリート。不思議ですね。
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高野山

今日は、弘法大師空海によって開かれた高野山へ。若いころに修行させていただいた祖山でもあります。今は、まだ桜も残っていました。あいにくの雨でしたが、日曜日ということもあって、聖地高野山に訪れる人も多くおられました。この山にくるとエネルギーがもらえます。
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