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(365日目)人間関係がうまく築けない人は気づきがない。

人間関係って大切ですやん。社会のコミュニティで生きていく以上は。今の世の中って少々うまく行かない人生でも生きていくことができると思うんですよね。それは社会保障があるからだし社会的弱者を助けることってことを道徳的に教えられているからだと思います。しかし人間の本能的には異物除去のシステムが備わっていると思います。それが現れるシーンってのがイジメだったり仲間外れだったりSNSで集団に叩かれたり。そんな世の中でうまくやっていくには自分の本心とは異なる自分を演じるそんなこともしなけりゃなりません。〜自分に素直になれ〜〜自分をさらけ出せ〜〜正直に生きろ〜それらの言葉をなんの疑いもなく受け止めて馬鹿正直に生きていく人がいますけど何も気付けてない証拠だろうなとも思います。っていうか自分の正当性を守りたいって意識があってそんな言葉に縋りたいってのが本心じゃないかな。もちろん素直に生きれれば気持ちいいでしょう。自分をさらけ出しながら生きるのもラクです。だけど問いたいんです。『本当に自分一人の力で生きてけますか?』って。誰にも頼らず 社会にも頼らず自分の能力と知能だけで生きていけるその確証と根拠はどこにあるのか?と。この社会で生きていく以上はどこかで自分を抑えなければならないことも、相手に合わせてコミュニティに参加することも、何かをガマンして生きていくことも必要です。それが社会のコミュニティでうまく生きていくための技術だったりします。もし自分をガマンする境遇に置かれているのが『自分だけなんだ』と思ってるようでは甘えも大概だと思うんですよね。いわゆる独りよがりってやつです。社会に向けて文句を言ったりす
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自分が演じる自分

皆さんの中には「自分の中には、もう一人の自分がいる」と感じている方も少なくないと思います。この「もう一人の自分」を有効に活用して現状の苦しみを、少しでも軽減できないかと考えてみました。 この世の中、私達が「生きている世界」は、とても厳しく辛いことばかりがあるように感じてしまいます。そこで、この「生きている世界」を、こんな風に捉えてみてはどうでしょう? “この「生きている世界」は、劇場の舞台であり、ストーリーは存在しているが、いくらでも、どの様にでもアドリブがきく” 私達は「役者」なのだと。 大きなステージの中で「自分」というキャラクターを演じ「生きている世界」という舞台で「演じている」のだと。 当然、演じているわけですから「本当の自分」は別にあります。 舞台ですから「本当の自分」が願う行動や発言などを取り入れる(アドリブ)は、なかなか難しく出来ないかもしれません。 「自分」という役を演じるうえで「本当はこんなキャラクター(演技)になりたい」と思うことも沢山あるでしょう。しかし、それは中々実現的に難しいものです。 なぜなら、この舞台では他にも多くの演者がいて、その人々との絡みがあるため、自分の描く理想の演技が出来ないのです。そして「生きている世界」という壮大な舞台で、与えられた演技をしなければならない・・・。 そこで重要になってくるのが「もう一人の自分」です。 一発勝負の舞台。やり直しのきかない一度きりのステージ。「自分らしさ」をアピールしつつ演技をするためには、「もう一人の自分」の役割が大きな重責を担ってきます。 悔いのない舞台を成功させるためには「本当の自分」が、いかに「生き
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たとえいっぱいいっぱいでも、あえて平然を演じる

チームのリーダーにはいろいろな仕事があって、特に予測できないことが重なったりすると、いっぱいいっぱいになってしまうことがあります。そんな時、あえて平然と振る舞う、というか、平然を演じてみると、いっぱいいっぱいの状況から抜け出せる、或いは、抜け出せないまでも状況を冷静に受け止められます。それは、1.リーダーが平然としていると、メンバーも落ち着き、チーム全体が浮足立つことなく、冷静に対処できるからです。2.そうすると、メンバーから打開策のアイデアがいろいろと出てきます。3.そうなると、リーダーもいっっぱいいっぱいになっている場合ではなくなって、建設的な解決に向けた議論に発展していきます。つまり、リーダーである自分の振る舞い(=演技)がメンバーに伝染し、今度はそれがリーダーに返ってくる。こうしたサイクルが生まれます。つまり、演じていると、それが現実の姿になっていくということです。パニックになりそうなときほど、リーダーがあえて平然と振る舞うとよいかもしれません。最後まで読んでいただきありがとうございます。このことから、少しでも新たな気づきや考える上でのヒントに繋がることがありましたら幸いです。
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「オーラ」の実在性は…あった!

「迫力がある」ことの比喩で「オーラがあるね~」などと使用されたり、霊的・超能力的に扱われることも多く実在性が抽象的に思われますが、経験上、これは実在すると認識しています。火事場の馬鹿力にも通ずると思っていますが、命に関わるほど追い詰められたとき、普通は迫力が出ます。単純に、生きようとするからです。告白するとき、辞表を提出するとき、様々な場面で覚悟を見せる時にも出ます。…しかし、それは一時のことで、ずっと続くわけではありません。(続いたとしたら、身体の方が付いていかず虚弱になるでしょう)演者としての私が感じた、最もオーラの重なり合う場面は…ズバリ「現場」です。オーラは纏(まと)っていると思われがちですが、場(空間)にも宿ります。ゲストで行った外画のアテレコで良く感じたのが、「波に乗れればセリフがとても言いやすい」ということでした。この「波」ってなんだろうと分析すると、オーラの集積(層の様に丁寧に敷いている)だということが分かりました。セリフは命です。おおげさではなく。鍛錬の賜物を出しています。その紡がれ方を掴めれば、自分もエネルギーを貰いながら出しながら、中に入っていくことが出来ます。そして、そんな魅力的なセリフを、まさに今、吐いている瞬間、追い詰められたときと同じようなオーラを確かに発していました。ある収録の後のキャスト飲みで、平田広明さんが「〇〇くん、オーラ来ないんだよなぁ」と結構ハッキリ言っていました。(〇〇さんも先輩ですが、この回、1:1でガチ絡みのシーンがありました)目で見るものではなく「感じるもの」であることに間違いありません。つまり、「視覚ではない知覚」で捉えるエネ
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「演じること」と「信じること」の関連…あります!

繊細でデリケートなテーマなのですが、実はこれは『めちゃくちゃ』大事なプロとしてのコツが含まれています!役者、アーティスト、芸術家。形は違えど、一本貫くには、強烈な信念が必要です。才能才能と言いますが、実は才能と言われる中にも「技術」は存在します。(気づかれないので才能と呼ばれているだけで、普遍的な技術があります)そのうちの大きな一つが「信じる技術」です。これだけ聞くと、怪しい自己啓発みたいですが(笑)“自分を正しく信じることが出来れば、実力は伸びます”辞めない限り、これは100%です!ちょっとブログではお伝えできませんが、一つ言えるのは、『信じていると思っているものは、実は「妄信」や「依存」ではないか?』と考えてみるのは、大きなヒントです。また、信じるということは「保持」(抱え込む・抱きしめる)ということではなく、「方向性」(可能性・ベクトルに向けて動かす)であるということです。「3歩進んで2歩下がる」という水前寺清子さんの歌がありますが、このことに当てはめた時には、かなり目からウロコでした(笑)…さらに掘り進めると、宗教性とも大いに関係があることが分かるのですが…次回があれば、書き出したいと思います。
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ままごと遊びはモデリングの基礎♪

こんにちは!このブログにお越しいただきありがとうございます^^♪ままごとっていう遊びありますよね。私実は大嫌いでした💦ステレオタイプのお母さんとステレオタイプのお父さんが毎日食事の風景をどう過ごすか、サラリーマンのお父さんが帰ってきてどう過ごすか、自分の両親を見ながら、同じことを演じてみる♪これがままごとという遊びだと思います。私自身は、「ステレオタイプ」というか、決まりきった「お母さんはこうやって行動するの」「お母さんはここでこう言うの」とか、なんかやだったんです~。でも、今、コーチとして改めて客観視すると、「ままごと遊び」はちゃんとしたモデリングだと思います。ままごとは仕切る子供と仕切られる子供がいることになりますが、仕切る子供にとっては「きちんとしたモデル」がいるわけです。そして自分が「お母さん」として一座を如何に仕切るかは、自分の母親の行動をモデルにしていることが多い。だから、母親になるために、自分の母親の行動からモデリングして、自分でその状況を作り出しているわけです。それを繰り返したら、すごいことになりますよね!母親の行動は逐一チェック!⇒だって、モデリングしないと、自分が  ままごと一座を仕切らなくてはいけない!母親がなんてしゃべるかもチェック!⇒自分が演じる時のセリフ!父親の行動とセリフもチェック!⇒父親役の子供に言わせて、ままごとの 臨場感を出す!一連の行動を考えてみたら、ままごと遊びというたわいもない、おもちゃ遊びにみえた遊びが、すごい人生の設計図になっていると思うようになりました。誰かモデルに決めた人を良く観察し、その人のように行動する。これはNLP(神経言
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【営業】演者であるべき(仕事の成果で凹むことはない!)

営業の人だと分かってもらえると思います。みなさんは話すことに自信はありますか?『自分もあの人のようにしゃべれたらなぁ』と社交性が高い人やコミュニケーション力が高い人を見て感じることがあると思います。私も20歳のころまでは話すのが苦手で前に出たいけど出れない、そんな性格でした。ですが一時のことであれば演じることで乗り越えることができます。人と関わる点では営業が一番イメージされますが、演者として人と接するという意味では接客でも、事務所で電話対応でも同じです。自分の性格と分けて演じることは必要です。その理由は多くの人は他人に興味がないからです。一番は自分に興味があります。自分が間違ってないか、人と比べてどうなのか、基本的に自分に興味を持っています。なのであなたを見ている時には想像しているあなたをイメージして接してきます。人は出会って数秒で性格までイメージし、その印象が2年続くと言われています。ぱっと見て印象を決めているので『本当はこんな側面がある』と意外性は受け入れられにくいです。なので、自分を俯瞰してみて自分はどうみられているのだろう?と考えて演じてあげることが大切です。営業さんであればまずスーツをきちっと着こなします。連絡もすぐに返信し、いつも上機嫌で、明るくポジティブに振舞う。営業マンとして一般的なイメージはこのようなものではないでしょうか。なので実際にはすごいさぼりがちな人であろうが普段の生活が女の子タブラかして遊んでても仕事ぶりがよければ褒められるわけです。居酒屋の店員さんならノリがよく、エンジニアさんなら職人さんっぽく、公務員さんなら実直な感じで、保育士さんなら優しい雰囲
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