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ジャーナリングで自分の心をありのままに見る。

自分の心をありのままに見る。評価や判断を加えることなく、自分の心をありのままに見る。だいぶ前に気づいたことがある。私は、妄想をジャッジして嫌悪し、排除しようとしていたことに気づいた。気づいてからは、妄想をジャッジせず(価値判断せず)、ありのままに見ることが数回出来ました。ありのままに見ると、数回とも妄想が1秒くらいで消えた。それは私にとって貴重な体験だった。無意識の意識化。自覚していないことを自覚した。自分の心をありのままに見ることが出来た。心随観。自分の心をありのままに見る。ジャーナリング(書く瞑想)でも、無意識の意識化が起こり、自分の心をありのままに見ることが出来るケースがある。これはジャーナリングの効果としてはかなり大きなもので、そうしょっちゅうあるわけではないが・・・。ありのままの心に気づく。まさに書く瞑想である。
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私の仕事はジャーナリング講師です。

2月からオンラインのビデオチャットでジャーナリング講座を開いている。ジャーナリングとは、書く瞑想とも呼ばれ、自分の思考を紙に書いて、可視化することで、客観的に観察し、自己理解を深めることの出来る方法だ。ccoconalaで募集をかけたところ、3人の受講者が来てくれた。私の講座では、ジャーナリングの実践に重きを置いている。実際にやってみて習得していただこうということだ。1人目の方はイレギュラーで講座を受講したわけではなかったが、他の2人の方は、ビデオチャットで講座を受講された。ビデオチャットで受講された2人は、ジャーナリングを習得することが出来た。2人ともジャーナリングによって客観視することが出来たとおっしゃっていた。1人は自分のことがよく分かったともおっしゃっていた。ジャーナリング実践を繰り返し、結果についてシェア出来る範囲でシェアし、質疑応答を繰り返すことによって、ふたりともジャーナリングを習得することが出来た。私はこれまでに行なってきたジャーナリングによって自分の思考の癖に気づいたり、無意識の意識化が行われたりして、気づきをたくさん得ることが出来た。ジャーナリングを行うことで、自分を客観視することが出来る。ジャーナリングを習慣化することで、自己理解が深まる。
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ジャーナリング実践

ジャーナリング(書く瞑想)とは、紙にペンで自分の思考を書くことで、自分の思考を可視化し、客観視することの出来る瞑想だ。その結果、自分の思考の癖や思考パターンが明らかになることもある。・ジャーナリングのやり方。紙とペンを用意する。 頭に浮かんできたことをひたすら紙に書いていく。この際、ペンを走らせる手を止めないようにする。何も浮かんでこなくて、ペンを走らせる手が止まりそうになったら、「何も浮かんでこない」という意味のことを書く。 何分続けても良い。タイマーをセットするのも良い。書き終えたら、書いた文章を読んで、観察する。観察した結果、自分の思考と距離が取れたり、自分の思考の癖や思考パターンが明らかになったりする。ジャーナリング(書く瞑想)によって、「思考を可視化」する。「思考を可視化」することによって「思考を客観視」出来る。「思考を客観視」し、「観察する」ことで、思考と距離が取れたり、思考の癖や思考パターンに気づいたりする。可視化 → 客観視 → 観察 → 観察結果ネガティブな思考に囚われているマインドレスネスな状態では、思考と距離が取れておらず、思考とべったりくっついて、思考と一体化してしまっている。ジャーナリングによって思考を可視化し、客観視し、思考と距離を取り、マインドレスネスな状態から抜け出す。思考を客観的に観察し、その結果、先程述べたように思考の癖や思考パターンが明らかになることがある。書いている時、浮かんでくる思考をリアルタイムに客観的に観察しながら、マインドフルな状態になれる。更に思考は文字となり、可視化出来る状態となる。文字化された思考を読み返すことで、客観的に観
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流行りのマインドフルネスのルーツ

グーグルが研修プログラムとしてマインドフルネスを取り入れたことで日本でも瞑想について見直されてきました。グーグルでは、チャディー・メン・タンという仏教瞑想の経験者がサーチ・インサイド・セルフ(SIY) という仕組みにして拡げました。SIYはジョン・カバットジンのマインドフルネスストレス低減法(MBSR)や「EQ 心の知能指数」のダニエル・ゴールマンの理論などを元にして組み立てられています。思いやりや相互理解を深めることでパフォーマンスを上げることを目的にしています。カバットジンのMBSRは禅やテーラワーダ仏教に伝わるヴィパッサナー瞑想を元ネタにしており宗教色をぬいて、科学的な思考方法に加工しています。ニューエイジ運動の流れを感じます。既存の宗教や文化に反発するカウンターカルチャーの時代に比較的新しい学問である心理学が技法を再検討して取り込んでいったような形です。サピエンス全史のユヴァル・ノア・ハラリもヴィパッサナー瞑想の実践によりあの壮大な本を完成させたと語ってます。ヴィパッサナー瞑想とはヴィパッサナー (Vipassana) は、物事をありのままに見る、という意味です。インドの最も古い瞑想法のひとつで、2500 年以上前にゴーダマ・ブッダによって再発見され、普遍的な問題を解決する普遍的な治療法、 生きる技として、多くの人に伝えられました。 宗教とはかかわりをもたないこの技は、あらゆる心の汚濁を取り除き、解脱という究極の幸福を目指しています。日本ヴィパッサナー協会からの引用です。ここはゴエンカさんという方が作った組織です。千葉と京都に瞑想センターがあります。サムネの写真は京都の
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座位での瞑想

今日は座位での瞑想をしてみました。 あぐらをかいて、片足だけを膝の上にあげるのを半跏趺坐(はんかふざ)、 両足を膝の上にあげるのを結跏趺坐(けっかふざ)といいます。 指導者にどうしてこのような座り方をするのか聞いてみました。 すると、足が組まれて安定するからということです。 あまりこだわらなくてもよいようです。 今日は単なるあぐらで挑戦しました。 普段、椅子を使っているので、結構つらいです。 途中足を組み替えたりしていましたが、周りの人が言うには、4時間くらいやっていたということ。 瞑想というものは身体の痛みに耐えて行うものなのでしょうか? ここは、疑問が残ります。今回の瞑想は、座禅と同じように、膝の上に手の平を上向きに置き、人差し指と親指で輪を作ります。 この輪に、今回は1円球を挟んで瞑想しなさいという課題でした。 夢を考えればわかるのですが、瞑想状態になると体のポジションがどうなっているかということが分かりません。 例えば、手を握っているのか、開いているのかということが分からなくなります。 これは、体の位置を測る、位置センサーがないことに起因すると思います。 体は、筋肉の収縮具合によってだいたいの位置を把握しているのだと思われます。 そのため、人差し指と親指で挟んでいる1円球がポロッと落ちてしまうことがあります。 ところで、この瞑想の目的は、意識を他に向けるということです。 つまり、一円玉を支えているということは、明確には意識されないにしろ、部分的に意識がそちらに向いているということです。 今は、他のことを考えているかもしれません。 しかし、その意識は、その他のことと、一円
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瞑想教室行ってきました。

マンボー(まん延防止法)のために、会場が早く閉鎖されるため、2時間程度しかできませんでした。 現在の一番の着眼点は、思考がわいてくる瞬間をとらえることです。 これができると、自分の判断がどの時点で行われているかが分かるそうです。 ただ、雑念がわいてくる瞬間と、五感がその刺激を受け取ったという脳の反応がわく瞬間とは異なるのではないかと思います。 それは、雑念がわいてくる瞬間のトリガーが明らかではないからです。 ヒラメキなども雑念に入ると思いますが、これは何によってわいてくるのかわかりませんよね。 もしかしたら、神様が授けてくれたのかもしれませんし、潜在意識から湧いてきたのかもしれません。 現在歩く瞑想をしています。 これは、脳が何も考えていないときのみ歩を進めるというものです。 これの問題点は、止まっている時間に対して、歩を進められる時願が圧倒時に少ないということです。 つまり、止まっているときに、五感の刺激を受けていたとして、それが雑念の刺激に代わってもその瞬間をとらえる練習にならないということです。 私は、ここが問題点だと思い、ラベリングによって五感の刺激か雑念の刺激がを分けることを提唱してみました。 指導者の答えはまだいただいていないです。 それで、実際にラベリングをしてみました。 具体的には、雑念がわいたときに、「雑念がわいた」とここらの中で思うことと、 雑念が止まったときに「雑念が止まった」と心の中で思うことをしてみました。 結論をいうと、両方ともうまくいなかったです。 理由はちょっとよく覚えていません。 たぶん、「雑念が止まった」「わいた」という思考が入ることにより、
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ジムvs瞑想

体のことを考えてジムに通う人は多くいらっしゃると思います。 ジムで使う時間は、どのくらいですか? たぶん、2時間くらいは使っているのではないでしょうか? 身体のケアに対しても最低限一週間に2時間程度は必要なのです。 それに対して、心のケアを忘れていませんでしょうか? 睡眠は心のケアをしてくれます。 しかし、それでは十分でない場合があります。 何故なら、心のケアの睡眠が十分でない可能性があるからです。 睡眠について、単に体が休息が取れればよいと思っていませんか? わたしも、昔はそうでした。 でも、体の休息と同様に心の休息も同じように必要です。 心の休息はある程度、時間をかけて行う必要があります。 それは、ジムにかよって、体を鍛えるとのに時間が必要であることとにいてます。 そのためには、心の休息に必要な睡眠か、瞑想を行うことかのどちらかになると思います。 心の休息に必要な睡眠については、当方でいろいろと思考錯誤中です。 今の時点では、まずは瞑想ということになります。
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サマッター瞑想

ヴィバッサーナ瞑想と対になる瞑想法としてサマッター瞑想というものがあると教えられました。 ヴィバッサーナ瞑想はあるものをすべて見るということに対して、サマッター瞑想はある程度目を背けるということに違いがありそうです。 サマッター瞑想は幸福感が得られやすいという一方、目を背けるだけに、掃除しきけない場所があるということです。昔、小学校の先生に、掃除が適当だと怒られて、その班で徹底的に掃除をしたことがあります。 しかし、たたけばホコリはいくらでも出てくるものです。 ほとんど際限はないということが分かりました。 このように、どこかで線引きをしなければならないのです。 指導者によれば、自分が気にならなければOKというようでした。 幸福を感じるには、気にならないレベルを上げる、つまり少しのことには気にしないという姿勢が大事です。 心を浄化する、例えば、負の物を清算するということについては、もう少し、気になるレベルを下げる必要があります。 つまり、自分のレベルに応じて、この閾値を上下する必要があるのだと思います。 自分自身にとっては、腰が痛いだの、あるところが痒いだのという身体的なものが辛いです。 身体的なものについては、ストレッチや、シップなどを貼ってケアしながら、瞑想するとよいかもしれません。 とにかく、精神状態について没頭した状態というものについては、ある程度つかめました。 だから、後は身体的な、外乱をいかに減らすかにかかっていると思います。 身体的に問題がない人であれば、身体的な外乱はないということです。 そうすると、もしかしたら、身体的な外乱については、サマッター瞑想になっていて
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雑念の効用

私は、初心者なので歩く瞑想をしています。 雑念が生じていないときは、身体の様子を観察します。 雑念が生じたときには、雑念を観察します。 雑念が沸き上がるところをとらえられれば、それで雑念と取り組まないので、雑念はなくなってしまいます。 一応、これがビィバッサーナ瞑想の流儀です。ただ、雑念が生じたときに、雑念に没頭してしまうことがあります。 特に、興味を持っていたけれども、心の中にしまっておいているようなことや、 過去の楽しかったことや、悲しかったことなども、没頭しやすいです。 つまり、心の中で一時預かり状態になっているものがあるとそれが出てきます。 瞑想中に雑念に没頭すれば、一時預かり状態の物がなくなってしまいます。 特に、過去の楽しかったことに没頭できれば、幸せのホルモンがどんどん出てくるでしょう。 では、悲しかった経験はどうかというと、自分なりの結論が出るか、負のエネルギーが使いつくされてなくなってしまうのではないかと思います。 つまり、瞑想すると、心の状態が幸せ側に傾くということです。 簡単にいうと、心のデトックス効果があるということです。 副次的なものですが、これは雑念の効用と思います。 チベットの僧などは、一日に10時間も瞑想をすると聞いています。 実は、なんでこんなに瞑想をするのかとも思っていました。 一日10時間も使えば、瞑想以外に生活に使える時間はわずかです。 だから、毒(トックス)も少ししか入ってこれないと思います。 それに加えて、瞑想でデトックスばっかりしていたら、心もきれいになるのは当たり前なのかと思います。
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反応しない練習を読みました。

と、言っても本屋で立ち読みです。 きっかけは、ヴィパッサーナ瞑想のことに触れていたので、瞑想の参考になると思ったからです。 行く前に、中田敦彦氏の解説の動画を見て挑みました。 中田敦彦氏の解説では、競争社会でのモチベーションなににすべきかということと、負の感情をモチベーションにしてはいけないということが心に残りました。 実際に本を読んでみて、私が得たことは、自分で人生を生きやすいように考えればよいということです。 確か本には、人生はこれでよいと思えるまで解釈を進化させよというような言葉で書いていたと思います。 他には、我々の価値観というのは、他から植え付けられたものが多くあります。 本の中では、勉強の例がありました。 小さい時は、なぜ勉強しなければならないかと考えていた人が多いはずです。 自分もそうでした。 でも、今は感じなくなっていました。 いまは、単に仕事で必要なので、勉強をしなければならないこともあります。 しかし、学生時代のあまり役に立たない、歴史などの勉強は何だったのかと思います。 それは、優秀さを測る物差しとしての価値があり、若いうちに優秀さを表した者は成功すると説いている本もあります。 しかし、これも実際に正しいかどうかわかりません。 このように知らず知らずのうちに信じ込んでしまったものがたくさんあると思います。 一応、仏教の本らしく、欲を捨てなさい、とか執着をすてなさい、とか妄想を捨てなさいとか説いています。 しかし、これも多く言われていることで、価値観の刷り込みかもしれません。 実際に仏陀は分からないものは無理やり判断しないほうがよいと説いており、判断する弊害
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瞑想実践会参加しました

今日は、オンラインの瞑想実践会でした。 19時から初めて21時を過ぎました。 一人でやると結構厳しいですが、瞑想会だと何とかできます。 ジョギングも脂肪燃焼効果があるのが、20分を過ぎたところからといいます。 瞑想も効果があるのは、1時間を過ぎたところからと以前教えられました。 しかし、毎日、1時間以上を費やすのは結構厳しいです。 でも、毎日やっていると、効果が出る時間が1時間よりも短縮できると指導者は言っていました。 そのため、ムダにしている時間も多いですが、なるべく欠かさずにやっています。 質疑応答の時間があるのですが、3っつ質問しました。 1.ラベリングについて ヴィバッサーナ瞑想は、何か自分が感じているときに、その感じている状態を観察するものです。 その感じているもとの刺激が大きいと、それに没頭してしまいます。 逆に小さければうまく観察できます。 ここで、例えば、腰が痛かったとして、「腰が痛い」と心の中で言ってしまうことがラベリングというものです。 言葉にすることにより、感情の種類が明確になる効果があり、それゆえ没頭を避けることができ、観察もしやすくなります。 これについては、場合によってはOKとのことです。 あまりに、感情が大きい時は、一度ラベリンクをすることによってその感情にとらわれないようにします。 但し、感情が小さい時はしないほうが良いとのことです。また、ラベリングが自然に起ったときは、無理にそれを制止する必要はないとのことです。 2.歩を進めるときに集中が切れることについて 現在立った瞑想というものをしています。 そろそろ次のステップに進てもよいらしく、次は1
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10日間のヴィパッサナー瞑想合宿@西オーストラリア州

≪ はじめに ≫ 私は、西オーストラリア州にてこの「10日間ヴィパッサナー瞑想合宿」に参加しましたが、食事が違うだけで、合宿内容もスケジュールも世界各国共通ですので、特に違い等に関しては触れません。ただ、夜の講話は、かなり専門用語が多く、アクセントが強くて聞き取れない等の難点があるため、母国語で聞かせて貰える特別室がありました。さて、皆さんは、何故この「ヴィパッサナー瞑想」に関心を持たれましたか?
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