反応しない練習を読みました。

記事
学び
と、言っても本屋で立ち読みです。
きっかけは、ヴィパッサーナ瞑想のことに触れていたので、瞑想の参考になると思ったからです。

行く前に、中田敦彦氏の解説の動画を見て挑みました。
中田敦彦氏の解説では、競争社会でのモチベーションなににすべきかということと、負の感情をモチベーションにしてはいけないということが心に残りました。

実際に本を読んでみて、私が得たことは、自分で人生を生きやすいように考えればよいということです。
確か本には、人生はこれでよいと思えるまで解釈を進化させよというような言葉で書いていたと思います。
他には、我々の価値観というのは、他から植え付けられたものが多くあります。

本の中では、勉強の例がありました。
小さい時は、なぜ勉強しなければならないかと考えていた人が多いはずです。
自分もそうでした。
でも、今は感じなくなっていました。
いまは、単に仕事で必要なので、勉強をしなければならないこともあります。
しかし、学生時代のあまり役に立たない、歴史などの勉強は何だったのかと思います。

それは、優秀さを測る物差しとしての価値があり、若いうちに優秀さを表した者は成功すると説いている本もあります。
しかし、これも実際に正しいかどうかわかりません。
このように知らず知らずのうちに信じ込んでしまったものがたくさんあると思います。

一応、仏教の本らしく、欲を捨てなさい、とか執着をすてなさい、とか妄想を捨てなさいとか説いています。
しかし、これも多く言われていることで、価値観の刷り込みかもしれません。
実際に仏陀は分からないものは無理やり判断しないほうがよいと説いており、判断する弊害なども述べていたと思います。
すると、欲を捨てなさいとかも、どちらが良いか分からないものに属する可能性があります。

結局は、私たちは、いろいろな要素をどうしなければならないと考えて、その考えが生きづらくしていたのかもしれません。

ですから、繰り返しになりますが、この本が伝えたいことは、人生を生きやすいように自分で解釈して生きなさいということだったのかなぁ、と思います。

私は、縛られた解釈の中で生きていましたので、解釈の努力を自分で行いなさいということは結構な気づきでした。

追記:
ただ、単に楽に生きてよいかというと、そうでもないかもしれません。
中道の教えということが降ってきました。
瞑想もそのような教えです。
人間の英知を超えたものがもしかしたらあるのかもしれません。

基本的には、著者の教えも、あるときには正しく、あるときにはそうでもないという含みを持たせた教えになっています。絶対的にそうとは言い切れないとのがたぶん仏教の教えだと思います。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す