私たちは本当に、人生の「答え」なんてものを求めているのでしょうか。
誰もが幸せの正解を探し求めます。
どう生きるのが正しいのか。どの選択やどんな恋愛や仕事が自分にとっての最適解なのか。
今の世の中は、親切な答えで溢れかえっています。
本を開けばそれらしい解決策が載っているし、動画を再生すれば成功者がノウハウを教えてくれる。
SNSをスクロールすれば、毎日名前も知らない誰かが「これが正しい生き方だ」と声高に語っています。
それなのに、私たちの心はどうして、いつまで経っても満たされないのでしょうか。
その理由は、私たちが心の底で本当に求めているものが、そんな「客観的な答え」ではないからかもしれません。
明日、自分の身に何が起きるか分からない。
数年後の将来、自分がどうなっているか想像もつかない。
あの時選んだ道が、本当に正しかったのか確信が持てない。
この「先が何も分からない」という宙ぶらりんな状態は、人間にとって耐えがたいほどの重荷になります。
だからこそ私たちは、その恐怖を埋めるために必死になって答えを探し回る。
けれど、本当のところはどうなのでしょう。
私たちは正解を知りたいのではなく、ただ、胸の奥をジリジリと焦がす「不安」から、一刻も早く逃げ出したいだけなのではないでしょうか。
もしそうだとしたら、これから先、どれだけ新しいノウハウや答えを手に入れたとしても、この旅に終わりはありません。
他人が用意してくれた一つの答えで束の間の安心を得ても、状況が少し変われば、また次の見えない不安が生まれ、私たちは新しい救世主を探し始めることになるからです。
歴史をいくら振り返っても、私たちはまったく同じループを繰り返しています。
ある時は強力な指導者を崇め、ある時は特定の思想や宗教にすがり、またある時は英雄の背中に人生を預ける。
けれど、当時の人々が命がけで求めていたのは、学問的な正しさそのものではなく、ただ、震える心を支えてくれる「何かしらの盾」だったはずです。
400年前の島原の乱でも、そしてスマートフォンを見つめる現代の私たちの日常でも、この依存の基本構造は何ひとつ変わっておりません。
私たちは、いつまでこの終わりのない正解探しを続けるのでしょうか。
今こそ外側に答えを求め続ける足を、ほんの少しだけ止めて、自分自身の内側に違う問いを投げかけてみる時期なのかもしれません。
「私は今、一体何をそんなに恐れているのだろう」
「私はこの焦りを使って、何から目を背け、逃げ出したいのだろう」
誰かが作った正解をなぞるのをやめた、その孤独な問いの先にこそ、私たちが本当に欲しかったものが隠されている気がしてならないのです。
次回は最終話として人が「不安」という消えない影と共に生きていくということについて、深く考えていきます。
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