信じることと、依存すること。
この二つは、果たして同じものなのでしょうか。
私たちは本来、何かを信じなければ生きていくことができません。
大切な家族や、心を許せる友人。
毎日を支える会社や、自分が掲げる理念。
あるいは、目に見えない神仏。
そして何より、自分自身の可能性。
何かを信じるという行為は、決して心が弱いからではありません。
むしろ、私たちが不確かな明日へと一歩を踏み出すために、どうしても必要なエネルギーです。
しかし、その「信じる」という純粋な気持ちは、時に気づかないうちに形を変えてしまいます。
いつしか、「自分の頭で必死に考えること」よりも、「誰かが用意してくれた答えに飛びつくこと」を、心が勝手に望み始めてしまうのです。
信頼は、生きていくための力になります。
けれど、依存は、自分の自由をじわじわと奪っていきます。
この二つはとてもよく似ていますが、似て非なるものです。
信頼とは、自分の足でしっかりと大地に立ちながら、相手を信じること。
依存とは、自分の足を止めてしまい、その体重のすべてを相手に預けてしまうこと。
だからこそ、私たちは人生が苦しくなった時ほど、この二つの境界線を見失ってしまいます。
安心が欲しい。
早く答えが欲しい。
もうこれ以上、失敗して傷つきたくない。
その痛いほどの気持ちは、人間としてとても自然なものです。
けれど、その願いのすべてを他者の手に委ねてしまった瞬間、私たちは少しずつ、自分自身という存在から遠ざかっていくことになります。
歴史を振り返れば、そんな人々の切実な希望をひと肩に背負った人たちが、数多く存在しました。
彼らは本当に、人々を導く英雄だったのでしょうか。
それとも、都合よく仕立て上げられた救世主だったのでしょうか。
あるいは、もっと別の「何か」だったのでしょうか。
その答えについては、もう少し先で、一緒に考えてみたいと思います。
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