私たちはなぜ、誰かの姿に自分たちの都合という「物語」を重ねてしまうのでしょうか。
そこにあるはずの意味を探して、どうしようもなく物語を求めてしまうのが人間の性なのかもしれません。
たまたま起きた偶然を「運命」と呼び、ただの出会いを「特別な縁」と呼び、誰かの壮絶な生き様に自分自身の叶わぬ願いを重ね合わせたりします。
それは決して愚かなことではありません。
むしろ人間だからこそ持っているとても愛おしい性質です。
けれども物語には美しい光だけでなく、それ以上に深い影も存在します。
人々の希望が大きくなればなるほど、その希望をたった一人で背負わされた人間の重荷は、計り知れないものになっていくでしょう。
周りの人々は、目の前にいる「一人の生身の人間」を、少しずつ自分たちの都合のいい「象徴」へと変えていってしまうのです。
そこにはもう、「その人自身の弱さ」や「傷つく心」などは存在する余地がありません。
周囲の熱量が、本人の意思とは関係なく、濁流のように積み重なっていく。
周りが勝手に抱く都合のいい期待や、現状を変えてほしいという必死な願望、行き場のない祈りそして「こうあってほしい」という身勝手な理想が溢れその時代における大きな事象へと姿を変えていく。
歴史をほんの少し振り返るだけでも、そんな風に祭り上げられ物語にされてしまった人物は少なくありません。
彼らは、本当に生まれながらにして特別な存在だったのでしょうか。
それとも、私たちが彼らを「特別」に仕立て上げてしまったのでしょうか
次回は、そんな物語の渦に巻き込まれた、ある一人の「少年」やその背景について現代と重ねながら触れていきます。
・関連するブログ
境界線|インプラント全解除創始者|魂王DaI⭐︎|coconalaブログ
・シリーズ第二弾 なぜ私たちは同じ苦しみを繰り返すのか?|インプラント全解除創始者|魂王DaI⭐︎|coconalaブログ