こんばんは。
Mナオキです。
今回より不定期にて、私が他のサイトで連載しておりますメンタル系のブログ記事をココナラ用に編集し、「出張版」という形でお届けして参ります。
この文章がどなたかの参考や安心材料になれたら嬉しいです。
そして第1回目では「パニック障害を発症したきっかけ」や「当時の気持ち」について綴っていくことにします。
■初発作は高校時代
それは高校2年生の頃でした。
北海道道東地区の高校の野球部に所属していた私は、春の支部大会を優勝し、北海道大会(全道大会)に駒を進ませました。
全道大会の開催された札幌市は季節外れの真夏を思わせるような気温で、ちょうど風邪気味だったことも重なり、札幌入りから試合日の数日の間にどんどん身体は衰弱していきました。
ご飯はほとんど喉を通らず、日に日に力が入らなくなっていきました。
今の自分であれば、迷わず病院に行くような体調でした。
ただ、当時はこの不調を誰にも言えなかったんですよね…
「チームに迷惑をかけたくない」
「レギュラーでは無かったけど、夏の大会までにアピールするため弱みを見せたくない」
「変に注目を集めたくない」
そのような思考が自身の判断を鈍らせてしまい、今にも倒れそうな体調のまま試合当日となりました。
そして野球場へ向かうバスに乗り込み座席に付いた直後、それまでの人生で感じたことのない、猛烈な恐怖感と、のたうち回りたくなるような吐き気が突然襲ってきたのです。
すぐに席を立ってフラフラになりながらホテルのトイレへ駆け込みます。
それが私にとって初めてのパニック発作でした。
■正式に病名が付いたのは専門学校時代
初めてのパニック発作について、当時はまだそれが「パニック障害によるもの」ということは知りませんでした。
病院では症状に合わせた薬が処方され、強い不安を感じることが何度とあっても、正確な理由は分からないまま勉強と部活を続け高校は卒業します。
そして、現在の本業に繋がる漫画家を目指すため、札幌のデザイン系の専門学校へ進学をしました。
詳細については今後漫画で描く可能性を考え控えさせていただきますが、札幌生活の間に体調はどんどん悪くなり、明らかな発作も増え、大きな病院の総合診療科で医師から「それはパニック障害ですよ」と言われ、はじめて自分の病名を知ったのです。
その一言を聞いた瞬間、やっと「正体がわかった」という安堵と、これからどうすればいいのか分からない不安が、一緒に押し寄せてきました。
■身体が出していたSOS
パニック障害と知ってからあらゆることを調べ、勉強をして心理カウンセラーの資格も取り、今だから当時の自分に言いたいことができました。
それは…
「身体が出していたSOSには素直に向き合ってあげよう」ということです。
高校時代の初発作前、正直に体調不良を監督や部長へ伝えていればパニック障害は発症していなかったかもしれません。
専門学校時代、大量の薬で身体をごまかそうとせず(不調を訴えれば訴えるだけ処方薬が増えていく時代だった)、体調不良の根本的な部分と向き合おうとすれば、重症のパニック障害にはなっていなかったかもしれません。
これはパニック障害だけに限った話ではなく、全ての病気に言えることだと思います。
少しでも健康寿命を延ばして元気に生活を続けたいのであれば、身体が出すSOSにいち早く気付くこと、そして向き合ってあげることが重要です。
■今回のまとめ
「出張版 こころとくらす日々」その1は、「私がパニック障害になったきっかけ」や「当時の気持ち」についてお話ししました。
更新は不定期ですが、今後も日々の気づきや体験を少しずつお届けしていきます。
また、このような実体験を通して現在は心理カウンセラーとしても活動しております。
ココナラにおいてもカウンセリングサービスを展開しておりますので、パニック障害だけに限らず、日常生活で何かお困りのことがございましたらご遠慮なく頼ってくださいますと幸いです。
少しでも心が軽くなるように寄り添わせていただきます。