ルールは少ない方がいい

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SNSで食事のルールや、日常でのルールに賛否両論出ていますが、シジミの味噌汁でシジミの身を食べるのかどうかなんてどうでもいいじゃないですか。食べたい人は食べればいいだけです。

食事のマナーだけではなく、お葬式なども最低限その場の雰囲気を乱さないようにすれば、少々間違っていてもいいんです。送る気持ちがあればいい。そしてそれを許せない人がルールに縛られているかわいそうな人なのです。

葬式なんて、50.60代になってもほとんど行ったことのない人もいます。しょっちゅうあるものでもないので、誰だって「どうやったらいいんだろう?」「何を持って行けばいいんだろう?」ってなるんです。

何事にも潤滑に公平に物事が進むようにルールがあります。多くの人は自分自身にも正しく生きるために、悔いなく生きるためにルールを設けています。嘘はつかないとか、相手を信頼するとか、朝一番は顔を洗うとか、宿題してから遊びに行くとか、毎日ルールだらけです。
でも、それは生きやすくするためのルールであってほしい。だから例外も多いにありでいいんです。

さて、ここで私達日本人にとっては一つの大きな落とし穴があります。

海外では「違っていていい」が当たり前で、ランチで「私ラーメン」「僕も」「私も」「じゃあ私も」というのは見たことがありません。

飛躍しますが、あの時、戦争に一直線に進んでしまったのも、同じとかルールとかそういう縛りの中で思考を動かすことが安定や安心につながる。自分で考えなくて良い、ほかの人と違うことをするのは怖いということと密接につながっていると感じます。

ルールは必要です。でも違ってもいいじゃないかという基本姿勢の中でルールを考える、伝える方がいいと思っています。

シジミを育てて獲って運んで調理して下さった人の事を考えれば残さず食べた方がいいでしょう。そこに優しさがあります。でも、だから偉いとか、正しいではないのです。ルールは誰かを思いやる気持ちから出ているのです。

反対に、ルールから少々はみ出しても別に構わないです。そこに自由があるのですから。

もうほんとに、シジミとか、焼香のやり方とか、ご霊前とご仏前とか、嫁だからとか、クリスマスはこうでないといけないとかってどうなんでしょう?





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