度をこすと‥ 究極の選択になり、、、

記事
学び
しばらくご無沙汰してしまいました💦

最近知ったのですが、《オーバートレーニング症候群》と呼ばれるモノがあるそうで‥

読んでのごとしーで、度をこしたトレーニングを続けることで、肉体のみならず最後には心まで疲れはて、最悪の場合、もとの状態に戻れなくなってしまうーということらしいです。

トレーニングをするアスリートのみなさんに限らず、たとえば、何かしらの理由でケガをして入院した方が、早く職場復帰や、日常生活を取り戻そうとリハビリを頑張り過ぎてもかかる病気?だそうです。

少し違うかもですが、過去、心身共にピークに追い詰められていたわたしは、娘を乗せて運転中に、意識が遠のき、からだが動かなくなって、ハンドルから手を落とし、山道を脱輪してそのまま雨水の溜まったくぼみに車ごとダイブして、娘とともに急死に一生を得るという、アンビリバボーな体験をしました。

救急車で運ばれた公立の病院では、心臓がとまりそうーとか、その他諸々の訴えにはとりあってもらえず、精神科に閉じ込められそうになったため、なんとか抜け出して、近くの医院に倒れこみました。

そこで最初に言われたのは、「過労と強いストレスで、筋肉をとめる酵素がでていて、心臓も筋肉なのでいつ止まってもおかしくない状態」というようなことでした。

その後、その医院で、最初に診てくださった若先生でないお父さんの方の先生がついてくださって、症状の落ち着いたわたしの病室を時々訪れては、わたしの話しを聴くだけでなく、ご自身のプライベートなお話しまでしてくださって、精神的なメンテナンスもして頂けたおかげさまで、1ヶ月ほどで回復し、退院することができました。

わたしの症状は、それだけでなく、姑によって、あるモノを密かに飲まされていたのでは‥という疑念もかわらず持っているので、すべてその《筋肉を止める酵素》のせいではない気はしますが、それでも、自分がブレーキを踏みたくても踏めない状況の中で、どうにかして自分のからだに急ブレーキをかけなければ、命を落とすところまで行っていたのは、間違いなかったと思います。

あの時のわたしは、けして自ら命をたとうと想っていたわけではありませんが、あの世でしか楽になれないーと思っていたのは事実です。

あの時、わたしが心の底から「楽になりたい」と願えば、アンビリバボーな奇跡は起こらなかったと想います。

わたしをこの世に引き留めてくれたのは、沈みゆく車の窓からなんとか先に脱出した娘の、「かあさんが来んなら、○○(←娘の名前)も一緒に死ぬ‼️」という言葉でした。

わたしの頭の中では、なぜかわたしの愛する人達、夫や息子、実家の父や姉弟家族はみな、あの世に先に逝って待っていて、あとは、娘とわたしが逝くだけーという設定になっていました。

でも、娘は必死に生きようとしていたので、娘だけでも生きてくれたらーと思って、後部座席の半分くらいだけ空いた窓から這い出した娘に、車を離れていきなさいーと何度も促したのですが、娘は窓枠に小さな手でしがみつきながら、「かあさんが来んなら、、」と、わたしをこの世に引っ張り戻してくれたのです。

頭の中で先に逝っている夫や息子達に心であやまりながら、わたしは、この世で、どんなことがあっても、このコ(娘)と生きていく‼️ーと、生きる選択をした瞬間でした。

もし、あの時、娘が車に乗っていなければ、わたしはこの世にいなかったと、いまでも思っています。

ちょっと、書きたかったことが、かわりましたけど💦

最後まで読んで頂き、ありがとうございました(^人^)❤️


サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す