こんばんは!ココナラで【トランスジェンダー・育児・家族・脳卒中】の
当事者電話相談をお受けしている、くまごろうパパです。
今日は、以前お話した「12日間の快適な入院生活のその後」についてお話ししていこうと思います。
「脳出血」
その言葉の響きから連想する重々しさとは裏腹に、入院生活は意外にも快適なものでした。
リハビリ病棟への移動もなく、そのまま自宅退院が決定しました。
12日間という病名のわりに短いの入院を終える頃の僕は、どこか楽観的ですらあったのです。
「あとは時間が解決してくれる。痺れや感覚の鈍さも、少し休めば元通りさ。仕事だってすぐに復帰できる。」
そう思って疑いませんでした。
当時、僕は派遣社員としてコールセンターで働き始めたばかりでした。
突然の事業撤退で前職を失い、「とにかく何かしなければ」と飛び込んだ場所でした。
派遣会社の方も親身になってくれ、復帰後の時短勤務や自宅療養の調整まで進めてくれました。
傷病手当の申請もして、ゆっくり復帰する環境は出来ていましたし、焦りは禁物。そう理解しているつもりでした。
でも、僕の心の中には、どうしても消えない「焦りの火」が灯っていたのです。
僕が早期復帰を急いだのには、切実な理由がありました。
当時、僕は医療保険に入っておらず、恥ずかしながら蓄えもほとんどありませんでした。
さらに、小学1年生の息子が不登校中で、妻は家庭で息子を支える必要があり、我が家は僕の「一馬力」で成り立つ綱渡りの生活だったのです。
妻との結婚前に同棲していた頃に、勤めていた会社の勧めで借りた部屋は立地も良く家賃もその分高め。お互い仕事をしていたから充分払えていたけど、今の暮らしには少し背伸びが必要な額。とはいえ引っ越すにもお金がかかる。
とりあえず息子の様子を見ながら、頑張ってみよう!そんな矢先の僕の脳出血でした。
「僕が頑張らなきゃ、この家族は立ち行かなくなる」
そんな責任感が、退院後の僕の背中を、休まるはずの自宅で何度も突き動かそうとしました。
ところが、現実は残酷でした。
「時間薬」を信じて待っていても、右手の痺れは引くどころか、日に日に存在感を増していきます。
コールセンターの業務は、お客様と会話し、同時にタイピングし、システムを操作するマルチタスクの連続です。
今の僕の指で、それができるだろうか。
現場の足を引っ張るのではないか。
何より怖かったのは、外見からは病気だと分からないことでした。麻痺がない僕は、端から見れば「元気な人」に見えます。「なんだ、大したことないじゃないか」と思われ、期待される業務を断りきれない自分の性格も分かっていました。
結局、派遣会社と相談し、復帰は延期に。
僕が家に残り、代わりに妻が単発の派遣仕事に出ることになりました。
大黒柱としての役割を果たせない不甲斐なさが、じわじわと、痺れを増した体よりも先に心を蝕んでいきました。
「夫なのに、父親なのに。何ひとつできていない」
そんな暗闇にいた僕を救い出してくれたのは、他ならぬ家族の言葉でした。
「病気なんだから、いつ誰にだって起こることだよ」
「大黒柱は男じゃないといけないなんて、誰が決めたの?」
「このご時世、そんなの気にしなくていい。あなたはあなたができることをして、ゆっくり療養して、それからまた始めたらいいんだよ」
誰一人、僕を責める人はいませんでした。
FTM(性同一性障害)としての自分を受け入れ、共に歩んできてくれた家族。彼らが欲しかったのは「稼いでくる僕」ではなく、「元気で笑っている僕」だったのです。
その優しさに甘えてもいいんだと思えたとき、僕たちは一つの大きな決断を下すことになります。
また次の機会で僕たちの生活を変えた決断の話を書こうと思います。
よかったらまた見に来てください。
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