こんばんは!ココナラで【トランスジェンダー・育児・家族・脳卒中】の
当事者電話相談をお受けしている、くまごろうパパです。
今日は、以前お話した「脳出血発症後の入院生活」についてお話ししていこうと思います。
前回「どうせ大した事ないだろうから、帰りに花見してから帰ろうか」なんてのんびり受診した結果、まさかの脳出血が発覚。そのまま入院、それも手厚すぎるほどの看護を受ける「NCU」という場所へ運ばれることになりました。
今回は、そんな僕の「不自由だけど温かかった」入院生活のお話です。
NCUに入った当日は、とにかく「動いちゃダメ」のオンパレードでした。
ベッド上で起き上がるのも禁止。腕には自動で締め付けてくる血圧計がずっと巻き付いていて、まさに「まな板の上のくまごろう」状態です。
一番切なかったのは、トイレですね。点滴のせいか、こういう時に限ってトイレが近いんです。
「あの……すみません」とナースコールを押して、看護師さんにトイレの前まで付き添ってもらう。歩ける自分としては「一人で行けますよ?」と言いたい気持ちもありましたが、いつ再出血するかわからない怖さもあって、そこはグッとこらえました。
何度もナースコールを押しては、「お忙しいのにすみません……」と心の中で平謝り。謝る必要はないのかもしれないけれど、NCUの並んだベットの中には看護師さんに暴言を吐きまくる人、何でもないような事で何度も呼ぶ人、様々な人がいて、きっと、その人達も持って行き場のない辛さがあったのでしょうけど、しかし、それを受け止める看護師さん達には本当に頭が上がりません。「僕のトイレ如きに…」なんて思っちゃいました。
そこの病院は救急指定病院でもあり、NCUの中でも頻繁にお引越しが行われていました。症状が少し落ち着いた人から順に移動です。
僕も2日目からはベット上で起き上がったり、トイレに1人で行くことを許可されたりして、割と早くにお引越しの日がやってきました。
一般病棟に移ってからの僕は、戸籍も男性見た目も男性なので、もちろん部屋は大部屋の男性用です。(ここから読んで??の方。僕トランスジェンダーなんです。)
僕は入院や手術が必要な時には、必ず自分がトランス男性であることをカミングアウトするようにしています。「耳鼻科や眼科なら言わなくていいかな(笑)」なんて思ったりもしますが、こと脳出血となると話は別です。
適合手術を終えていても、元々の体の作りは違うもの。
お医者さんには正確な情報を伝えておかないと、後で「あれ?」とややこしいことになりかねませんからね。
自分を守るためにも、そして医療従事者の方々に迷わせないためにも、僕は「僕の真実」をフラットに伝えるようにしています。
始めは、割とナースセンターに近い部屋にお引越し。その後、また更に症状が落ち着き退院も近くなると、廊下の端の方の部屋にお引越しです。
幸いなことに、僕の出血量は少なく、再出血も、麻痺もありませんでした。
ただ、右半身に感覚の鈍さと痺れはありました。
例えるならゴム手袋を二、三枚重ねているような感覚。ちょっと正座した後の微かな痺れ程度。若干の違和感はあっても、動くことには不自由がなかったんです。
だから、シャワーの許可もすぐにおりました。「一人で大丈夫か確認しますね」とやってきたのは、自分の娘と言ってもおかしくない年齢の、若い女性作業療法士さん。
「うん、大丈夫そうですねー」
爽やかに太鼓判を押してくれましたが、その間、僕の立派な「メタボなお腹」をしっかり見られていたわけで……。
脳出血の不安よりも、「あぁ、もっと腹筋しておけばよかった」という恥ずかしさが勝った瞬間でした・・・。
病院という場所は、驚くほど年齢層が高いものです。50歳の僕でも、ここでは「若手患者」。
毎日のルーティンは、意外と充実していました。
朝昼晩の、病院食にしては美味しいごはん(失礼!)
1日2回のリハビリ
毎日のシャワー
スマホで家族とのおしゃべり
リハビリの時間、僕は普通に歩けるし、バランスボールもそれなりにこなせました。
そうなると、リハビリの時間はいつの間にか「おしゃべりタイム」に。
自分のこれまでの歩みや、トランスジェンダーとしての話も普通にしていたからでしょうか。「このおじさん、話しやすいな」と思われたのか、作業療法士さんたちがこぞって恋バナを投下してくるようになったんです。
「実は私二股かけちゃってて……」
「やっとダメンズウォーカーを卒業できそうなんです!」
おいおい、リハビリ中におじさんにそんな話していいのかい?と心の中で突っ込みつつ、若い彼女たちの等身大の悩みを聞くのは、僕にとっても良い刺激になりました。
感覚の鈍さはすぐには治らなかったけれど、心の方は少しずつ、リハビリタイムの笑い声と一緒に解きほぐされていった気がします。
退院が見えてくると、現実的な準備も始まります。その一つが「運転シミュレーション」。
脳出血を起こすと、再びハンドルを握るためには公安委員会への届け出が必要なんです。
テストを受けて「運転に支障なし」というお墨付きをもらい、後日、意気揚々と免許センターへ向かいました。「脳出血しましたが、大丈夫です!」と面談しに行くのは、なんだか不思議な達成感がありましたね。
コロナ禍ということもあり、家族との直接の面会は叶いませんでしたが、ビデオ通話のおかげで寂しさは感じませんでした。むしろ、美味しいご飯が出てきて、リハビリで若い子たちの恋バナを聞いて……。
正直に言いましょう。12日間の入院生活、ものすごく快適でした。
今振り返れば、あの時間は僕にとって病気の現実からすこしだけ逃避する猶予タイムだったかもしれません。
出血も少なく、麻痺もない。リハビリも順調。「くまごろうさん、本当に軽くてよかったね!」
先生も看護師さんも、そして僕自身も、どこか楽観的な空気の中にいました。右半身の痺れだって、そのうちスッと消えてくれる。そう信じて疑わなかったんです。
あの日シャワーのチェックをしてくれた女性作業療法士さんに、「まだ小さい息子さんの為に再発しない為にも、メタボ卒業してカッコいいおとうちゃんでいましょうね!」なんて釘を刺されたりして、運動してダイエット頑張らなきゃなーなんて思っていましたし、仕事にもすぐ戻れる気でいました。
でも、退院の日のことでした。
院長先生が総回診で僕のベッドにやってきて、ポツリと言ったんです。
「今日退院だね。ただ、この痺れがね……後から『痛み』に変わってくる人もいるから。まあ、今後も主治医の先生によく相談してね」
その時の僕は、「へぇ、そんなこともあるんだな」くらいにしか思っていませんでした。院長先生の言葉が、これから始まる長い苦しみの「予言」になるなんて、夢にも思わなかったんです。
「軽い方」だと言われた僕の脳出血。
でも、病室を出て一歩外の世界へ踏み出したとき、僕はまだ知りませんでした。
本当の闘いは、病室のベッドの上ではなく、日常に戻ったその先に待ち受けているのだということを。
心地よい12日間の夢から覚め、僕は少しずつ、自分の体の中に潜む「本当の痛み」と向き合っていくことになります。
脳出血とはもちろん出血量が多ければその分リスクも上がるけど、少量だからと言って軽く済む、後遺症が出ないわけでは無いのです。
脳卒中など後遺症やその後の生活の不安、福祉制度への不安などモヤモヤされている方、当事者の僕とお話しませんか?
あなたの声を聴かせてください。僕が寄り添います。
こちらでお待ちしています。【待機中】であればいつでもお話しできます。