こんばんは!ココナラで【トランスジェンダー・育児・家族・脳卒中】の
当事者電話相談をお受けしている、くまごろうパパです。
今日は、以前お話した、治らない症状と家族の温かさの、その後に下した我が家の「大きな決断」についてお話ししていこうと思います。
脳出血で入院した12日間、僕はどこか楽観的でした。「少し休めば元通りさ」と。
しかし現実は残酷でした。仕事復帰を目指すものの、右手の痺れは引くどころか強くなり、コールセンターのマルチタスクなんて到底こなせない。見た目は普通に見えるからこそ、「できない」と言うのが怖い。
派遣会社と相談し、復帰は延期に。
僕の「一馬力」で、不登校の息子と妻を支えていた我が家の家計は、一気に底を突きかけました。
「このままじゃ、払いものができなくなる。一度、福祉センターに相談に行こう」
妻の言葉に頷いたものの、僕の足取りは鉛のように重かった。
世間にある「生活保護」への冷ややかなイメージ。「社会のお荷物」という言葉が、頭の中で何度も反響します。
でも、僕には麻痺がないから身体障害者手帳も、障害年金も難しい。
制度の「隙間」に落ちてしまった僕たちが、家族を路頭に迷わせないために選べる、唯一の公的支援でした。
福祉センターの「生活課」で通された個室。そこでの調査は、文字通り「すべてをさらけ出す」ものでした。
通帳の残高、財布の中の小銭、PayPayなどの電子マネーの残高。さらには、万が一のために掛けていた生命保険も「解約返戻金があるなら解約してください」と言われ、すべて手放しました。
車も原則として所有は認められません。幸い、うちは立地が良く車は持っていませんでしたが、妻の通勤と僕の通院のために「原付」の所有だけはなんとか認められました。
持ち物も、資産も、プライバシーも、一枚ずつ剥ぎ取られていくような感覚でした。(誤解のないように…対応がきついという事ではなく、あくまでも僕の心情です)
「引っ越し指導」も入りました。
今住んでいる国道沿いの便利な部屋は、独身時代に妻と同棲を始め、二人でバリバリ働いていた頃に借りた思い出の場所。でも、生活保護の家賃上限(住宅扶助)を超えていました。
「すぐにとは言いませんが、なるべく早く、規定内の家賃のところへ引っ越してください」
その指導は、かつて元気だった自分たちの面影を、物理的に手放すことでもありました。ですが、より早く引越して家賃を下げることが家計を支える上で大事なことでした。
早速物件を見てまわりました。まだこの頃息子にどんな特性があるのか病院の受診すらしてない時だったけど、あまり大きく環境を変えない方が良いような気はしていました。
なのでなるべく生活圏を変えない中でかつ、家賃の上限がある中、なるべく条件の良い部屋に決めました。
みんな一致でここが良いと決めて、今では快適!のはずだったんですけど、のちに僕を苦しめることになるとは、この時はまだ知る由もありませんでした。
受給が決まってからも、生活は決して「楽」なものではありません。
2ヶ月に一度の家庭訪問があり、毎月の収入報告は欠かせません。
最低限の暮らしができる金額が、世帯構成で決められ、その中から収入などを差し引いた分が保護費として支給されます。
労働で得た収入はいくらか規定の額控除されます。なので働く方がちゃんと手元に残る金額があるようにできています。その控除部分などを貯めて生活の再建に使う訳ですが、その貯蓄も上限があり、ちゃんと申告しなければなりません。
しかしこの物価高騰の折、控除額を貯める生活などできたものではないのが現実ではあります…。児童手当などもすべて「収入」として扱われ、年に一度は通帳のチェックもあります。
僕には病気による「就労不能」が認められていますが、妻には「就労指導」があります。僕も就労不能とはいえ少しでも家計を助けたい一心で、薬で痛みを誤魔化しながら辛い中でも少しバイトして、ちゃんと申告しています。文字通り社会の厳しいルールの中で正しく受給しています。
人様の大事な税金から助けてもらっているのだから、そのくらい当たり前ではありますよね。
だからこそ、僕は不思議でならないのです。
世の中に蔓延する「不正受給」のニュース。
これだけ細かく調べられ、すべてを管理されている中で、一体どうやって不正なんてできるのか。
ルールを破る一部の不誠実な人たちのせいで、どうしても受給せざるを得ない人間が、まるで悪人のような目で見られる。もっと厳しくしろ、助ける必要などない、果ては、そんな奴らは淘汰されればいいとか。辛らつな言葉が並びます。
どうしてもこの制度が必要で、ちゃんと正直に審査を受け、真面目に報告し、正しく受給している人間にとって、それは本当に、本当に悲しい言葉です。
そして不正受給している人のせいで同じ目で見られるのは迷惑な話です。
それでも、およそ2週間の調査を経て支給が決まったとき、去来したのは「安堵」でした。
「これで、来月も家族にご飯を食べさせてあげられる」
世間のイメージや、ちっぽけなプライド。そんなものを守るよりも、目の前で笑っている息子と、必死に支えてくれる妻の日常を守ることの方が、よっぽど大事じゃないか。
「大黒柱」という言葉に縛られ、自分を追い詰めていたのは、僕自身だったのかもしれません。
家族が「あなたはあなたのままでいい」と言ってくれたから、僕は今の自分を受け入れることができました。
心配で、連絡をくれた友人にも特に近しい人には生活保護を受けることを報告しました。
皆んな一様に、「あなただって元気に働いていた時に払ってきた税金だ。生活保護は国民が受けることのできる権利だ。恥じる事はない。堂々と受けて、また働けるようになればいい!」と言ってくれました。
当時の僕は、まだ信じていました。
少し長引くかもしれないけれど、いつかは「時間薬」が効いて、また元の自分に戻れる日が来ると。
けれど、現実はそんなに甘いものではありませんでした。
時間薬では解決できない後遺症の痛み。少しでも家計を助けようと、元々副業でやってたフードデリバリーを再開するも薬で無理やり体を動かして痛みを我慢する過酷さ。そして、息子との同伴登校の日々の中でじわじわと削られていく僕の精神。
この「大きな決断」は、確かに我が家にとって救いでした。ですが単に平穏への第一歩ではなく、さらなる激動の日々への入り口でもあったのです。
その時、僕が何を感じ、どうやってどん底を這いずり回ることになったのか。
そして、そんな絶望の中でも、周囲の人たちの力を借りながら、どうやって一つずつ壁を乗り越えてきたのか。
今もまだ、僕はその「渦中」にいます。
けれど、家族や支えてくれる人たちと共に歩むこれからの物語を、少しずつでも綴っていこうと思っています。
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正直この記事の関しては、はじめは出そうかどうか迷いました。
しかしこの話はこれからの僕の人生を語る上でも避けては通れないし、同じような境遇の人にも伝えたい。恥ずかしく思わないといけないことでもないと思うし、誤解している人がいるなら伝えたい。
電話相談をしていく上でも、悩んでいる方がいらっしゃるならお話したい。
そんな思いで、出すことにしました。
脳卒中などの後遺症や、その後の生活の不安、福祉制度への不安などモヤモヤされている方やそのご家族、当事者の僕とお話しませんか?
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あなたの声を聴かせてください。僕が寄り添います。
こちらでお待ちしています。