僕はもう一度「小学校」へ通うことになった

僕はもう一度「小学校」へ通うことになった

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こんにちは!ココナラで【トランスジェンダー・育児・家族・脳卒中】の当事者電話相談をお受けしている、くまごろうパパです。今日は、不登校という決断をした後の事についてお話ししていこうと思います。

不登校という選択をしてから、僕たち家族は「家での学び」を模索してきました。
タブレット教材や学校の課題は順調。けれど、日中に息子に合わせた生活で過ごすため、夜のスケジュールが押してくる。妻も仕事がある為帰ってきてから慌ただしいという日が続き、息子の就寝時間や起床時間もバラバラでいつの間にか僕たちの生活リズムを少しずつ狂わせていました。
そんな中で迎えた、2年生の夏休み。
僕は息子に、ある「提案」をしてみることにしたんです。

生活リズムを戻すきっかけが欲しかった僕は、先生から聞いた「あるルール」を息子に伝えました。
「校門をくぐって、先生に挨拶するだけで『登校』になるんだって。朝、みんなが教室に入って静かな頃に挨拶だけしに行かない? そのためには、夜は早く寝よう!」
夏休み明けからやってみよう!と、息子はこの提案に乗ってくれました。

我が家は、前回記事の生活保護の転居指導の引っ越しの関係で、隣の学区から通う「越境通学」の状態でした。
本人も転校を嫌がったし、新しい学区の小学校はいわゆるマンモス校。大人数が苦手な息子には向かないと感じました。
何より通っていた小学校の先生方はとても熱心に息子に向き合ってくださっていたので、越境通学を選びました。
片道30分かかる道のりを、毎日二人で歩きました。正直、僕の後遺症のある体にはきつい距離でしたが、前を歩く息子の背中を見ていると、息子も頑張っているのだからと僕もゆっくりと足を引きずりながらも頑張りました。

数日間、挨拶通いを続けたある日のことです。
その日は、以前から唯一通えていた「ことばの教室」の日でもありました。ことばの教室は3時間目に設定されていました。朝に挨拶へ行き、一度帰って、3時間目にまた来るのは大変。
その日は妻が仕事が休みで付き添っていて、ダメ元で「ふれあい教室」を覗いてみないかと誘ってみてくれました。
以前誘った時は「断固拒否」だった場所。
けれどその日、息子は「……行ってみようかな」と呟いたんです。

「ふれあい教室」とは様々な理由で自分の教室に入れない子が学年を問わず集まる場所でした。不安そうに扉を開けた息子を待っていたのは、上級生や同級生たちの温かい歓迎でした。それがよほど嬉しかったのでしょう。
「ふれあい教室だったら、行ける!」
なんと、みんなに誘われて、言葉の教室が終わった後に、もう一度ふれあい教室に戻りたいと希望し、誘われるままに給食まで食べて、下校時刻までみんなと過ごす。
それは僕たちにとって、眩しすぎるほどの「進化」でした。

ふれあい教室には通う。ただし彼は一つ条件を付けてきました。それは「親が学校に付き添うこと」
楽しかったけど、ひとりでは行けない、それが息子の気持ちでした。せっかく学校に行きたいと思えている息子の気持ちに応えたかった。
学校側に交渉して付き添う事を許可して頂きました。
仕事がある妻に代わり、後遺症で自宅にいた僕が、毎日息子と一緒に「登校」することになりました。

これが息子との同伴登校の始まりです。よく勘違いされるのですが、送迎ではありません。登校から下校まで1日中付き添うのです。

ふれあい教室は授業を受ける場所ではありません。各々が、クラスの先生に出された課題や、ドリルなどをして、ふれあい教室の先生に見てもらいます。分からない所は勿論教えてくれますが、先生も足りない中、僕は息子の隣に座り、マンツーマンで勉強を教えました。先生方もじっとしている子ばかりではないので大変なんです。

そのうち、他の子たちも僕のところに集まってくるようになりました。「おじさん、これ教えて」「膝に乗せて!」……。みんな可愛いのですが右半身に痛みがある僕は、子供たちに告げました。
「おじちゃんの右側は病気があって痛いんだ。だからおじちゃんの右側に触ったり、パンチしたら5円でーす!笑」これは効果てきめんでした(笑) 
ふれあい教室でも、本来のクラスでも、新しい子が来たり事情を知らない子がいたら子供たちが説明してくれます。こうして僕と息子はすっかりふれあい教室になじみ、気づけば僕は、まるでふれあい教室のボランティア先生のような存在になっていました(笑)。
あ、余談ですけど男の子たちはちゃんとルールを守って、僕の左側にパンチするのでした(笑) サンドバック体型だからかなぁ…。

50歳を過ぎて、もう一度通うことになった小学校。
息子の成長を、普段見る事が出来ない所まで見守ることができる。それは、何物にも代えがたい贅沢な時間でした。本来なら親子が離れて過ごすはずの時間ですものね。

けれど、そんな「贅沢な日々」の裏側で、僕の心には少しずつ、目に見えない「澱(おり)」が溜まり始めていました。
子供たちの純粋なエネルギー、そして我が子の成長。それらを一身に受け止める毎日は、想像以上に僕の精神を削っていたのかもしれません。
それと、始めは妻が休みの日には交代で学校にきてくれたりもしたけど、息子のこだわりが発動していつしか、学校は僕でないと駄目だということになったことも影響していたのかもしれません。
僕がこの後、どのように自分の心と向き合っていったのか。それはまた、次の機会にお話しできればと思います。

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もし今、お子さんの付き添い登校や不登校で見守りを続けている方がいたら、伝えたいことがあります。
「子供の笑顔のために、あなたが無理をしすぎていませんか?」
子供が進化するとき、親は全力で背中を支えます。でも、支える側が倒れてしまっては元も子もありません。
まずは今日、一緒に歩いたその道のりを、自分自身でも褒めてあげてくださいね。

【電話相談】をしています。
「我が子の不登校や行き渋りが辛い」「誰にも言えない育児の愚痴を吐き出したい」という方、同じ痛みを経験した当事者(パパ)として、あなたの張り詰めた心にゆっくり寄り添います。
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