快晴の日、パン屋の香りに負ける

記事
学び
散歩道に、パン屋がある。
そこを通るたびに、少しだけ歩く速度がゆるむ。
別に、最初からパンを買うつもりで家を出たわけではない。
散歩なのだから、目的はない。
強いて言えば、空を見ること。
それくらいだ。
快晴の日の空は、見上げるだけで気持ちが少し広くなる。
雲ひとつない青もいいし、遠くに薄い雲が流れているのもいい。
空はいつも頭の上にあるのに、見ようと思わないと、案外ちゃんと見ていない。
だから、散歩の途中でよく空を見る。
今日の空は、気持ちよく晴れていた。
あまりにもまっすぐな青で、こちらの都合など知らない顔をしていた。
それがいい。
人の気分は、朝からすぐにぐらつく。
洗濯物の量でも、昨日の言葉でも、ちょっとした予定でも、すぐに重たくなる。
けれど空は、そういうものと関係なく広い。
もちろん、空を見たくらいで全部が解決するわけではない。
それでも、少しだけ息がしやすくなる。
そんなことを思いながら歩いていたら、パンの匂いがした。
焼きたての匂いだった。
あれはずるい。
パン屋の店先から流れてくる香りには、人の予定を変える力がある。
今日は何も買わないつもりだったのに、気がつくと足がそちらへ向いている。
ふらっと立ち寄る。
この「ふらっと」がいい。
計画していない。
予約もしていない。
今日のご褒美にしようと決めていたわけでもない。
ただ、いい香りがしたから入る。
それだけで、なんだか暮らしが少し豊かになった気がする。
店の中には、いくつものパンが並んでいる。
食パン、クロワッサン、あんぱん、惣菜パン。
名前を見なくても、どれもちゃんとおいしそうな顔をしている。
パンというのは、不思議だ。
特別な料理というより、暮らしに近い。
けれど、焼きたてのパンを見ると、少しだけ特別な気持ちになる。
迷った末に、ひとつ選ぶ。
本当は二つ買ってもいい。
大人だから。
誰にも怒られない。
けれど、ひとつにする。
そのほうが、今日の散歩にちょうどいい気がした。
店を出ると、また空が見える。
紙袋の中から、まだ少し温かい匂いがする。
青い空と、焼きたてのパン。
それだけで、十分すぎるくらいの日だと思った。
散歩道には、こういう小さな罠がある。
いい香り。
知らない花。
猫の背中。
曲がった先の光。
見上げた空。
目的地に着くことより、途中で引っかかるもののほうが、あとからよく覚えている。
たぶん、暮らしもそうなのだと思う。
大きな予定や、立派な出来事だけでできているわけではない。
むしろ、パン屋の店先で足が止まるようなこと。
快晴の空を見上げて、少しだけ気分が軽くなること。
そういう小さなものが、日々を支えている。
家に帰る途中、もう一度空を見た。
やっぱり快晴だった。
それがなんだか嬉しくて、紙袋を少しだけ持ち直した。
中のパンがつぶれないように、そっと。
今日はいい散歩だった。
何か大きなことがあったわけではない。
けれど、パンの香りに負けて、空を何度も見上げた。
それだけで、じゅうぶん素敵な日だった。



サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す ココナラコンテンツマーケット ノウハウ記事・テンプレート・デザイン素材はこちら