この小道は、ちゃんとここにつながっていた

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トイカメラを持って散歩に出ると、少しだけ歩き方が変わる。
いつもの道なのに、いつもよりゆっくりになる。
急いで通り過ぎていた角で立ち止まり、なんでもなかった塀の色や、電柱の影や、道ばたの草のかたちなんかを見てしまう。
性能のいいカメラなら、もっときれいに撮れるのかもしれない。
空はもっと青く、花はもっと鮮やかに、遠くの看板だって、くっきり写るのだろう。
でも、トイカメラにはトイカメラのよさがある。
少しぼんやりしていて、少し頼りなくて、思った通りにならない。
その不自由さが、かえって景色をやさしくしてくれる気がする。
小道を歩いた。
大通りから少し入っただけなのに、空気が変わる。
車の音が遠くなって、代わりに自転車のブレーキの音や、どこかの家の食器の触れ合う音が聞こえる。
洗濯物が揺れていて、知らない家の鉢植えがきれいで、名前のわからない花がひっそり咲いている。
こういう道を歩いていると、道はただ目的地へ向かうためだけのものではないのだと思う。
道には、その道の時間がある。
朝の道、昼の道、夕方の道。
晴れた日の道、曇った日の道。
元気な日の道、少し疲れた日の道。
同じ小道でも、そのたびに違う顔をしている。
ふと、ここにつながる、と思った。
今歩いているこの細い道も、これまで歩いてきた道の続きなのだ。
あの角を曲がったことも、遠回りしたことも、なんとなく気が向いて入った脇道も、全部ちゃんと今につながっている。
人生のことをそんなふうに大げさに考えていたわけではない。
けれど、小道を歩いていると、暮らしの中にも似たようなことがある気がしてくる。
あのとき、うまくいかなかったこと。
思っていた場所に行けなかったこと。
足踏みみたいに見えた時間。
寄り道だと思っていた出来事。
そういうものも、いま振り返れば、どこにもつながっていなかったわけではないのかもしれない。
大きな道ばかりが正しいわけではない。
まっすぐでわかりやすい道ばかりが、立派なわけでもない。
少し曲がっていて、先が見えなくて、どこへ出るのかわからない小道にも、ちゃんと意味がある。
むしろ、そういう道のほうが、あとになって思い出に残ることもある。
トイカメラで写真を撮る。
ぱちり、という軽い手応え。
画面ですぐに完璧な答えが見えるわけではない。
少し外れているかもしれないし、思ったより暗いかもしれない。
でも、その曖昧さがちょうどいい。
人の記憶だって、そんなものだと思う。
くっきり正確ではないけれど、なぜか大事なものだけは残っている。
たとえば、あの日通った小道の光。
塀に落ちていた木の影。
古い門の前に置かれた自転車。
風で少し揺れた葉っぱの感じ。
そういう細かなものが、あとからふいに心に戻ってくる。
どこへ向かうでもない散歩だったのに、帰るころには少しだけ満たされている。
なにか特別なものを見たわけではない。
有名な景色があったわけでもない。
それでも、ただ歩いて、立ち止まって、気になったものにレンズを向けただけで、今日は悪くない一日だと思える。
たぶん、素敵というのは、立派なものだけに使う言葉ではない。
小さな道。
少し古い家並み。
なんでもない角の光。
ぼんやり写るトイカメラの写真。
そういうものにも、ちゃんと素敵はある。
そして、その素敵に気づける日は、少しうれしい。
この小道は、どこか遠くの特別な場所へつながっているわけではない。
ただ、ちゃんとここにつながっていた。
今の自分が立っている場所へ、今日の気分へ、この静かな満足へ。
それだけで、なんだか十分な気がした。


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