『やさしさ迷惑14/100』

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学び
第14話
笑ってる人ほど、ちゃんと聞かれていない

前話:優作は、美月から「相手のためと言いながら、相手に聞かずに決めている」と厳しく指摘された。優しさのつもりが独断になる痛みを知り、ようやく“まず聞くこと”の重さに気づき始めていた。

翌日の昼休み。

中村優作は、コンビニの袋を持ったまま、休憩スペースの前で足を止めた。

中から、聞き慣れた声がした。

桐谷ケイ。

いつものように少し軽い声で、誰かと話している。

「いや、大丈夫っすよ。僕そういうの慣れてるんで」

笑っている。

いつもの桐谷だ。

でも、その笑い方が、今日は少しだけ引っかかった。

優作は中に入ろうとして、止まった。

相手は真壁だった。

「悪いな、桐谷。中村くん、最近田辺さんの件で手いっぱいだったからさ」

「全然っす。僕、便利枠なんで」

「いやいや、助かってるよ」

「はいはい。助かる時だけ呼ばれるやつですね」

桐谷は笑っていた。

真壁も笑っていた。

普通なら、軽いやり取りで終わる場面だった。

でも優作は、なぜか胸の奥がざわついた。

便利枠。

その言葉が、冗談に聞こえなかった。

昼休みが終わる頃、優作は桐谷の席に行った。

「桐谷」

「ん?」

桐谷はいつもの顔で振り向く。

「さっきの、真壁さんとの話」

「さっき?」

「便利枠って言ってたやつ」

「ああ」

桐谷は笑った。

「ただの冗談だよ」

いつもなら、優作もそこで流していた。

そうか。
ならいいか。

でも、昨日の美月の声が頭に残っていた。

聞いてください。

優作は、少しだけ息を吸う。

「本当に?」

桐谷の顔が、一瞬だけ止まった。

本当に短い一瞬だった。

でも、止まった。

「何が?」

「本当に、ただの冗談?」

桐谷は椅子にもたれた。

「優作、最近ちょっと面倒くさくなったな」

「うん。自覚ある」

「相沢さんの影響?」

「たぶん」

「即答すんなよ」

桐谷は笑った。

でも、笑いながら画面に目を戻した。

会話を終わらせる動きだった。

優作は、そこで引き下がりかけた。

しつこいかもしれない。
踏み込みすぎかもしれない。
桐谷は嫌がっているかもしれない。

そう思った。

でも、昨日の自分は、それで美月を外した。

相手のためだと勝手に決めて、聞かなかった。

今日は違う。

「桐谷」

「何」

「嫌なら、答えなくていい」

桐谷の指が止まる。

「でも、俺は聞きたい。
さっきの“便利枠”って、どこまで冗談だった?」

休憩スペースより、ずっと静かだった。

桐谷はしばらく黙っていた。

それから、笑わずに言った。

「半分」

優作は黙る。

「半分は冗談。半分は、本音」

その声は、いつもの桐谷じゃなかった。

「俺さ」

桐谷は画面を見たまま言った。

「別に、頼まれるのが嫌なわけじゃないんだよ」

「うん」

「優作が最近いろいろ任されてるのも、まあ分かる。佐伯見てたり、田辺さんの件もあったし」

「……うん」

「でもさ」

そこで桐谷は、ようやく優作を見た。

「俺は昔から、何となく回ってくる雑なやつを拾ってる」

優作は言葉を失った。

桐谷は続ける。

「急ぎだけど誰に頼むか決まってないやつ。
ちょっと空いてそうな人に投げたいこと。
誰かがやりたがらない調整。
そういうの、だいたい俺のところに来る」

桐谷は笑った。

でも、その笑い方はもう軽くなかった。

「で、俺も笑って受けるからさ。
周りも“桐谷なら大丈夫”って思う」

優作の胸が、少しずつ重くなる。

ずっと近くにいた。
毎日話していた。
軽口も言っていた。

なのに、知らなかった。

いや、違う。

知らなかったんじゃない。

知ろうとしていなかった。

人は、笑っている人を“大丈夫な人”に分類してしまう。
でも本当は、笑っているからこそ、誰にも止めてもらえないことがある。

その言葉が、優作の中に落ちた。

「なんで言わなかったんだよ」

言ってから、すぐに後悔した。

それは、聞き方が違う。

桐谷は少しだけ笑った。

「出た。言えばよかったじゃん理論」

「……ごめん」

「いや、いいよ。普通そう思うし」

桐谷は肘をつく。

「でもさ、言わないんじゃなくて、言いづらいんだよ」

「言いづらい?」

「俺が“しんどい”って言うと、空気変わるだろ」

優作は何も言えない。

「いつも笑ってるやつが急に真面目に言うと、周りが困る。
“え、そんな感じだったの?”ってなる。
それが面倒で、また笑う」

桐谷は目を伏せた。

「そうすると、また“大丈夫なやつ”に戻る」

優作は、口の中が乾くのを感じた。

痛かった。

桐谷の話なのに、どこか自分にも刺さる。

優しさで飲み込む人。
笑ってごまかす人。
相手を困らせたくなくて、本音を薄める人。

形は違うけれど、桐谷もまた、同じ場所で苦しんでいた。

「俺、気づいてなかった」

優作は言った。

桐谷は肩をすくめる。

「まあ、俺も気づかせないようにしてたし」

「でも、俺は近くにいた」

「近くにいるからって、見えてるとは限らないだろ」

その一言が、刺さった。

昨日、美月に言われたことと同じだった。

相手を見ているつもり。
分かっているつもり。
でも実際には、自分が見やすい形の相手しか見ていない。

優作は小さく頷いた。

「なあ、桐谷」

「何」

「今、俺にしてほしいことある?」

桐谷は少し驚いた顔をした。

「珍しい聞き方するな」

「練習中だから」

「相沢さんに怒られた?」

「かなり」

桐谷は少しだけ笑った。

でも、すぐに真顔に戻る。

「してほしいこと、か」

少し考えてから、桐谷は言った。

「俺が笑って受けた時に、たまにでいいから聞いてほしい」

「何を?」

「本当にいけるのか、って」

優作は黙って聞く。

「“桐谷なら大丈夫だろ”じゃなくて、
“今これ受けて大丈夫か”って聞いてほしい」

それは、すごく小さな願いに聞こえた。

でも、桐谷にとっては、きっとずっと言えなかったことだった。

「分かった」

優作は短く答えた。

「聞く」

桐谷は軽く笑った。

「重いな」

「軽く言ったら、また流すだろ」

「まあ、流すな」

二人は少しだけ笑った。

でも、その笑いはさっきとは違っていた。

午後。

真壁が再び桐谷の席に来た。

「桐谷、悪い。これ今日中に——」

桐谷はいつものように笑いかけた。

「はいはい、便利枠で——」

その瞬間、優作は口を開いた。

「真壁さん」

真壁が振り向く。

「ん?」

優作は一度、桐谷を見る。

桐谷もこちらを見る。

少しだけ緊張していた。

優作は言った。

「その依頼、今桐谷が受けても大丈夫か、先に確認してもいいですか」

真壁がきょとんとする。

「え?」

「今、桐谷も別件を抱えているので。
今日中なら、どこまで必要かと、優先順位を確認したいです」

桐谷は目を丸くした。

真壁も少し驚いた顔をしたが、すぐに「ああ」と頷いた。

「そうか。悪い、確かに雑に頼んだな」

桐谷は、何も言わなかった。

ただ、ほんの少しだけ視線を落とした。

優作は気づいた。

それは、助かった顔だった。

その後、真壁の依頼は今日中ではなく、明日の午前まででよくなった。

桐谷は席に戻りながら、小さく言った。

「優作」

「ん?」

「さっきの、ちょっと気持ち悪かった」

「え」

「でも、助かった」

「気持ち悪いは余計だろ」

「いや、急にちゃんとしてたから」

「褒め方下手か」

桐谷は笑った。

今度の笑いは、いつもの軽さに少しだけ戻っていた。

でも優作には、さっきまでと違って見えた。

笑っている。
でも、だから大丈夫とは限らない。

その当たり前に、ようやく気づいた。

夕方。

美月が優作の席に来た。

「さっきの、見てました」

「桐谷の件ですか」

「はい」

優作は少し身構える。

「何か、まずかったですか」

美月は首を横に振る。

「いえ。ちゃんと聞いてました」

その一言で、胸の奥が少しだけゆるむ。

「昨日の今日なので」

「続けてください」

「はい」

美月はそこで少しだけ視線を落とした。

「近い人ほど、聞かなくなるので」

優作は顔を上げる。

「相沢さんも、そういうことありますか」

美月は少し間を置いた。

「あります」

意外だった。

でも、美月はそれ以上は言わなかった。

優作も、聞きすぎなかった。

今は、それでよかった。

終業後。

桐谷からチャットが来た。

今日のやつ、助かった
ただし今後も気持ち悪くならない程度で頼む

優作は笑った。

了解。気持ち悪くない範囲で聞く

すぐに返ってきた。

そこは真面目に返すな

優作はスマホを伏せた。

その時、美月からもメッセージが来る。

今日は、相手に聞いてから動いてましたね

優作は少し考えて、返した。

まだ怖いですけど

すぐ既読。

怖いくらいでいいと思います
分かったつもりになるよりは

優作は、その一文をしばらく見つめた。

分かったつもりになるよりは。

そうだ。

人の本音は、近くにいるほど見えなくなることがある。
笑っているから大丈夫。
軽く返すから平気。
いつものことだから問題ない。

そうやって、自分に都合よく相手を分かったことにしてしまう。

本音は、隠れているんじゃない。
聞かれないまま、笑いの奥に置きっぱなしになっているだけのことがある。

優作はスマホをしまった。

今日、桐谷の本音を少しだけ聞けた。
でも、それで全部分かったわけじゃない。

聞くことは、たぶん一回で終わらない。
関係の中で、何度も聞き直すものだ。

そして翌日。

優作は、今度こそ聞かなければならない場面に立たされる。

相手は、佐伯。

ただし今回は、仕事の相談ではない。

佐伯がずっと黙っていた、
“会社を辞めたいかもしれない”という話だった。

第15話へ続く。
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