『やさしさ迷惑10/100』

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学び
第10話
「任せる」は、手を離すことじゃない

前話:優作は、真壁からの無理な依頼に対して、相手を責めず、自分も潰さずに「できること」と「できないこと」を伝えた。少しずつ、“優しさで飲み込む”以外の関わり方を覚え始めていた。

翌朝。

中村優作は、佐伯の様子がおかしいことに気づいた。

いつも静かな後輩ではある。
でも今日の静かさは、少し違う。

画面を見ているのに、目が泳いでいる。
キーボードに手を置いているのに、指が動いていない。

「佐伯」

「……はい」

「何かあった?」

佐伯は一度口を開いて、すぐ閉じた。

「大丈夫です」

大丈夫じゃない時の、一番分かりやすい言い方だった。

優作は椅子を引いて立ち上がる。

「ちょっと話すか」

佐伯は小さくうなずいた。

会議室に入ると、佐伯はしばらく黙っていた。

「今日の午後、田辺さんの件で、追加確認があるじゃないですか」

「ああ」

「あれ、相沢さんから“佐伯くんが一次対応してみて”って言われました」

優作は少し驚いた。

田辺の案件。
4話から6話にかけて、認識ズレでかなり苦い思いをした、あの案件だ。

「あの件を、佐伯が?」

「はい」

佐伯は視線を落とす。

「でも、怖いです。またズレたらどうしようって。
中村さんなら流れ分かってるじゃないですか」

その言葉で、優作は何を言われたいのか分かった。

代わってほしい。

そう言っているわけではない。
でも、そういう顔だった。

怖い。
失敗したくない。
だから、分かっている人に前に出てほしい。

その気持ちは、少し前の優作にも痛いほど分かった。

会議室のドアがノックされた。

美月だった。

「入ってもいいですか」

「はい」

美月は佐伯を見る。

「佐伯くん。無理にやらせたいわけじゃありません」

佐伯は硬い顔でうなずく。

「ただ、昨日の対応を見て、次は一次対応を任せてもいいと思いました」

「僕を、ですか」

「はい」

「でも、まだミスします」

「しますね」

即答だった。

佐伯の表情が固まる。

美月は続けた。

「だから、一人で完璧にやれという意味ではありません」

そして、優作を見た。

「任せるって、放っておくことじゃないです。
でも、全部代わりにやることでもありません」

その一言が、優作の胸にまっすぐ落ちた。

任せる。

それは簡単な言葉に見えて、実はかなり難しい。

助けすぎれば、相手の出番を奪う。
放っておけば、相手は一人で崩れる。

人を育てる時に一番むずかしいのは、正解を教えることじゃない。
相手が自分の足で立つ時間を、横で黙って待つことだ。

優作は、その言葉にならない重さを感じていた。

美月は続ける。

「中村さんは、佐伯くんの横にいてください。
でも、先にしゃべらないでください」

優作は一瞬、返事が遅れた。

「俺、しゃべりそうですか」

「しゃべります」

佐伯が少しだけ笑った。

優作は頭をかく。

「……了解です」

美月は会議室を出る前に、もう一度だけ振り返った。

「任せる側も、練習です」

午後二時。

田辺とのオンライン確認が始まった。

優作は佐伯の隣に座った。
PCは開かない。
メモ帳だけを置く。

しゃべらない。
先に助けない。

そう決めているだけなのに、妙に手が落ち着かない。

佐伯が画面に向かって頭を下げる。

「本日はお時間ありがとうございます。
本件、一次確認を担当します佐伯です」

声は少し硬い。
でも、ちゃんと出ている。

「本日は三点確認させてください。
一点目が、社内説明時に重視される判断基準。
二点目が、リリース前に避けたいリスク。
三点目が、次回までに弊社が整理すべき資料の粒度です」

優作は思わず佐伯を見た。

悪くない。
かなりいい。

最初に目的と項目を出した。
相手が何を聞かれるか分かる。

佐伯、できるじゃん。

そう思った矢先だった。

田辺が言う。

『ちなみに、前回の比較表にあったリスク整理ですが、あれは御社としてどの程度まで検証済みですか?』

佐伯の表情が止まった。

想定外だ。

資料をめくる手が少し遅くなる。
視線が泳ぐ。

優作の中で、反射的に声が出そうになった。

それはまだ仮説段階です。
一次検証前提なので、今日は前提確認です。

言える。
自分なら言える。

でも、美月の言葉が浮かぶ。

先にしゃべらないでください。

一秒。
二秒。
三秒。

長い。

長すぎる。

助けたい。
今すぐ助けたい。

優作が口を開きかけた、その時。

佐伯が言った。

「すみません。そこは、今この場で言い切ると危ないです」

優作は止まった。

佐伯は、ゆっくり続ける。

「現時点では仮説ベースです。検証済みと言える段階ではありません。
ただ、次回までに、検証が必要な項目と、確認できている範囲を分けて整理します」

田辺が少しだけ目を細める。

『分かりました。そう言っていただける方が、こちらも扱いやすいです』

優作は、胸の奥で息を吐いた。

佐伯が、自分で戻した。

正解を出したんじゃない。
言い切れないものを、言い切らずに止めた。

それは、かなり大きかった。

打ち合わせは二十分で終わった。

会議が切れた瞬間、佐伯は椅子にもたれた。

「……めちゃくちゃ疲れました」

優作は笑った。

「見てる方も疲れた」

「途中、助けようとしました?」

「……した」

「ですよね」

「でも、しなかった」

佐伯は少しだけ笑う。

「ありがとうございます」

その言葉に、優作は少し胸を突かれた。

助けなかったことに、ありがとうと言われた。

今までの自分にはなかった感覚だった。

会議室を出ると、美月が廊下で待っていた。

「どうでした?」

佐伯が小さく息を吐く。

「怖かったです。でも、やれました」

美月は静かにうなずいた。

「はい。見ていました」

佐伯は少し驚く。

「任せたのは、できると思ったからです」

佐伯の表情が、ほんの少し変わった。

その一言は、たぶん佐伯にとって大きかった。

優作も、少しだけ羨ましくなる。
いや、羨ましいというより、嬉しかった。

美月は優作を見る。

「中村さん、しゃべりました?」

「しゃべってません」

「本当に?」

「本当に」

佐伯が横から言う。

「しゃべりそうにはなってました」

「佐伯」

美月は少しだけ笑った。

「でも、止まったなら十分です」

優作は、その一言で少し救われる。

席に戻ると、真壁が寄ってきた。

「佐伯くん、田辺さん対応したんだって?」

「はい」

「どうだった?」

佐伯はまだ緊張の残る顔で言った。

「怖かったです。でも、やれました」

その言葉に、周りが少しだけ静かになる。

やれました。

大きな言葉じゃない。
でも、佐伯の口から出たそれは、確かに重かった。

桐谷が優作を見る。

「で、保護者は?」

「保護者じゃない」

「口出した?」

「出してない」

「おお、成長したな」

「うるさい」

でも、悪い気はしなかった。

少し離れた席で、美月がこちらを見ている。

目が合うと、すぐに画面へ戻った。
けれど、口元がほんの少しだけゆるんでいた。

たぶん、気のせいじゃない。

終業間際。

佐伯が優作の席に来た。

「中村さん」

「ん?」

「今日、自分で話してみて分かりました」

「何が?」

「任されるのって、怖いです」

「うん」

「でも、横に誰かがいて、でも代わりにやられないって、ちょっと変な安心感があります」

優作は黙った。

それは、今日いちばん大事な言葉だった。

任せるとは、手を離すことじゃない。
相手が自分の足で立つ場所を、横で一緒に支えることだ。

助けすぎると、相手の出番を奪う。
放っておくと、相手は一人で崩れる。

その間に立つのが、たぶん一番難しい。

優作は、やっと少しだけ分かった気がした。

「佐伯」

「はい」

「今日、かなりよかった」

佐伯は少しだけ目を丸くした。

「……ありがとうございます」

「でも、次は最初の沈黙、もう一秒短くしよう」

「そこ言います?」

「言う」

佐伯は笑った。

その笑い方が、少しだけ昨日までと違っていた。

その日の帰り際。

優作のチャットに、美月からメッセージが届いた。

今日、よく我慢しましたね

優作は画面を見て、小さく笑う。

すぐに、もう一通。

口が動きそうになってましたけど

優作は返信する。

バレてました?

すぐ既読がつく。

かなり

その“かなり”の使い方、ずるい。

少し迷って、優作は打った。

任せるの、難しいですね

数秒後、美月から返ってくる。

難しいです
でも、任せられた人は、そこで少し変わります

優作は、その一文をしばらく見つめた。

たぶん今日、変わったのは佐伯だけじゃない。
任せた側も、少し変わった。

その時、佐伯から新しいメッセージが届いた。

中村さん、次の田辺さん対応、
最初から僕が準備してみてもいいですか?

優作は足を止める。

画面の文字を見つめる。

任せる。

それは、相手を信じることじゃない。
相手が自分を信じられる機会を、奪わないことなのかもしれない。

優作はゆっくり返信を打った。

いいよ。
ただし、最初の確認項目だけ一緒に見よう。

送信。

数秒後、佐伯から返事が来る。

はい。お願いします。

優作はスマホをしまった。

その時、前を歩いていた美月がふと振り返る。

「中村さん」

「はい」

「また少し、任せましたね」

優作は少しだけ笑う。

「はい。かなり怖いですけど」

美月は、ほんの少しだけ口元をゆるめた。

「そのくらいが、ちょうどいいです」

その一言で、今日の緊張が少しだけほどけた。

けれど、優作はまだ知らない。

任せることを覚え始めたその先で、
次に試されるのは、
“任せた相手が失敗した時、自分がどう立つか”だということを。

第11話へ続く。
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