19年会社員をやって、管理職になって、年間100冊以上本を読んで、コーチングまで学んで。たどり着いたのは「もっと頑張る」ではありませんでした。肩の力を抜く、すすめ。

19年会社員をやって、管理職になって、年間100冊以上本を読んで、コーチングまで学んで。たどり着いたのは「もっと頑張る」ではありませんでした。肩の力を抜く、すすめ。

記事
コラム
製造現場で働き、海外でも仕事をし、管理職になり、父親になりました。

会社員生活は19年になります。

年間100冊以上の本を読み、コーチングを学び、1年以上、ほぼ毎朝瞑想を続けています。

こう書くと、ずいぶんいろいろやってきたように見えるかもしれません。

実際、私はこれまで、

「もっと成長したい」

「もっといい仕事をしたい」

「もっといい人間になりたい」

「もっと人の役に立ちたい」

と考えながら、いろいろなことを学び、試してきました。

本を読めば、まだ知らない何かがあるんじゃないか。

成功する人だけが知っている考え方があるんじゃないか。

人生をもっと良くする方法があるんじゃないか。

そんな気持ちもあったと思います。

でも、いろいろな経験をして、たくさん本を読んで、自分自身について考え続けてきた今、以前とは少し違うことを感じています。

それは、

人生は、もっと肩の力を抜いていいんじゃないか。

ということです。

頑張らない、ということではありません。

諦める、ということでもありません。

むしろ、

余計な力を抜いた方が、自分が本来持っている力は出てくるのではないか。

最近、そんなことをよく考えています。



1.ちゃんと生きようとして、ずっと頑張ってきた

私は長く製造の仕事に関わってきました。

現場では、安全や品質、生産など、さまざまな問題が起きます。

問題が起きれば、

何が起きたのか。

なぜ起きたのか。

どうすれば再発しないのか。

現地現物で確認しながら、一つずつ原因を探していく。

そういう世界で仕事をしてきました。

問題には原因がある。

原因が分かれば対策ができる。

正しく考えれば、より良い答えに近づける。

仕事をするうえでは、とても大切な考え方です。

そして、私はこういう考え方が好きでした。

だから仕事だけではなく、人生についても、どこか同じように考えていたのかもしれません。

うまくいかないなら原因がある。

悩んでいるなら解決策がある。

幸せになる方法がある。

成功する方法がある。

もっといい自分になる方法がある。

だから、考える。

調べる。

本を読む。

行動する。

また振り返る。

そうやって、「より良い自分」を目指してきました。

管理職になれば、さらに責任も増えます。

自分のことだけではありません。

部下のこと。

組織のこと。

結果のこと。

周囲からどう見られているか。

期待に応えられているか。

父親としても、

「こうありたい」

「こうした方がいい」

という思いが出てきます。

振り返ると、私はかなり長い間、

「ちゃんと生きよう」

としてきたのだと思います。

もちろん、それが悪いわけではありません。

そのおかげで得たものもたくさんあります。

でも最近、ふと思うようになりました。

そんなにずっと力を入れていなくてもいいんじゃないか。



2.本を読めば、どこかに「正解」があると思っていた

私は本をよく読みます。

年間100冊以上。

多い年は、それ以上になると思います。

ビジネス。

自己啓発。

心理。

健康。

睡眠。

幸福。

仏教。

コーチング。

マインドフルネス。

いろいろな本を読んできました。

最初の頃は、どこかに「答え」があると思っていました。

これを知れば人生が変わる。

この習慣を身につければ成功する。

この考え方を使えば悩まなくなる。

そんな、とても重要な何かが、まだ自分の知らないところにあるような気がしていました。

だから、次の本を読む。

そして、また次の本を読む。

でも、ある時から少しずつ感じるようになりました。

言葉や表現は違っていても、

結局、大切なことはそれほど複雑ではないのではないか。

例えば、

今を大切にする。

人に感謝する。

自分を客観的に見る。

執着しすぎない。

身体を整える。

よく眠る。

人に親切にする。

違いを認める。

起きたことをどう捉えるかを大切にする。

いろいろな本が、違う角度から似たようなことを伝えているように感じるようになりました。

そして、もう一つ気づきました。

知識が増えるほど、

「こうした方がいい」も増えていく。

朝はこうした方がいい。

睡眠は何時間がいい。

運動した方がいい。

目標を持った方がいい。

感謝した方がいい。

瞑想した方がいい。

人のために生きた方がいい。

一つひとつは、素晴らしい考え方です。

でも、それが、

「こうしなければならない」

になった瞬間、

また一つ、自分を縛るルールになる。

だから最近は、本を読む時にも少し距離を取るようになりました。

「こういう考え方もあるんだな」

くらいで、一度受け取ってみる。

試してみる。

合えば続ける。

合わなければやめる。

それくらいでいい。

正解を手に入れるために読むのではなく、自分の見方を増やすために読む。

そんな読み方に少しずつ変わってきました。



3.頑張るほど、本来の力が出なくなることがある

最近、武道や呼吸について書かれた本を読みました。

そこには、身体の余計な力を抜き、呼吸を整え、意識を落ち着かせることで、本来持っている力を発揮しやすくなる、という考え方が書かれていました。

これは、とても面白いと思いました。

スポーツでもそうです。

絶対に成功させたい。

失敗したくない。

ここで決めなければいけない。

そう思えば思うほど、身体に力が入る。

肩が上がる。

呼吸が浅くなる。

頭の中でいろいろなことを考え始める。

でも、最高のパフォーマンスを発揮している人を見ると、全身がガチガチに力んでいるわけではありません。

必要なところには力が入り、必要のないところは抜けている。

人生も似ているのではないかと思います。

重要なプレゼン。

大切な面談。

失敗したくない仕事。

人間関係。

「絶対にうまくやろう」

とすればするほど、余計な力が入る。

そこで最近、私は意識的に呼吸をするようにしています。

肩の力を抜く。

身体を感じる。

頭の中だけで考えない。

私は毎朝、マインドフルネス瞑想を続けています。

最近は呼吸や身体の感覚にも、以前より少し注意を向けるようになりました。

すると時々、

自分と周囲の境目が少し薄くなるような、

自分がその場に溶け込むような、

とても穏やかな感覚になることがあります。

もちろん、それを目指す必要もないと思っています。

「こういう状態にならなければ」

と思ったら、また力が入ってしまうからです。

ただ、呼吸をしている。

身体を感じている。

今ここにいる。

それでいい。

最近は、

「頭に上がった自分を、腹下に戻す」

という感覚を大切にしています。

肩の力を抜くとは、

気持ちだけの話ではなく、

身体から始めることもできるのだと思います。



4.「見られている人生」から「見ている人生」へ

本を読んでいて、もう一つ面白い話に出会いました。

人前で緊張するとき、

「自分はどう見られているだろう」

と考えると、どんどん緊張する。

でも、

「自分が相手を見ている」

という側に意識を変えると、緊張しにくくなる。

という話です。

私はこれを読んで、

これは人前で話す時だけの話ではないな、と思いました。

私たちは普段、思っている以上に、

「見られている」

という意識で生きているのではないでしょうか。

会社で、

同期は昇進した。

自分はまだこの職位だ。

これは、自分で自分を見ているようで、

会社の評価基準を通して自分を見ています。

SNSを見て、

あの人はフォロワーが多い。

いいねがたくさんついている。

それに比べて自分は。

これも、自分がSNSを見ているようで、

実はSNSの中にある価値観から、自分が見られている。

休日に何もしなかった時、

「今日は無駄にしてしまった」

と思う。

でも、なぜ何もしない一日は無駄なのでしょうか。

生産性が高い方がいい。

成長した方がいい。

時間は有効活用した方がいい。

そんな価値観を、自分が知らないうちに採用しているのかもしれません。

つまり、

見ているつもりなのに、実は見られている。

これが結構多い。

では、

「私はどう見られているか」

ではなく、

「私は、これをどう見ているんだろう」

に戻ってみる。

会社がどう評価するかではなく、

私はこの仕事をどう思っているのか。

世間がどう見るかではなく、

私はこの生き方をどう感じているのか。

そこで少し、自分の視点が戻ってきます。

私はこれを、

「見られる人生から、見る人生へ」

と考えています。



5.自分を縛っている「正解」や「物差し」に気づく

私たちはたくさんの物差しを持っています。

成功している。

失敗している。

偉い。

偉くない。

幸せ。

不幸。

ちゃんとしている。

ちゃんとしていない。

役に立つ。

役に立たない。

でも、その物差しはどこから来たのでしょうか。

会社かもしれません。

親かもしれません。

学校かもしれません。

SNSかもしれません。

本かもしれません。

そして、自分自身が過去の経験から作ったものかもしれません。

私は海外で働いた経験があります。

違う国で生活すると、

自分が当たり前だと思っていたものが、必ずしも当たり前ではないという経験をします。

国が変われば、

仕事の仕方も違う。

人との距離感も違う。

時間の感覚も違う。

コミュニケーションも違う。

そういう経験をすると、

「普通はこうする」

という言葉が、少し怪しく見えてきます。

世界には80億人以上の人がいます。

80億人いれば、80億通りの考え方がある。

そう考えれば、

一つの正解に全員が入るはずがない。

それなのに、私たちは、

「普通は」

「常識では」

「こうあるべき」

という言葉で、自分や他人を縛ってしまう。

私自身、父親として家族と接する時にも、

「こうした方がいい」

と思うことがあります。

近い人ほど、

「こうしてほしい」

が強くなる。

でも、その人にはその人の人生がある。

それに気づくと、

少し距離を取ることができます。



6.自分から半歩離れて、余白を取り戻す

最近、私は自分自身を少し第三者のように見ることがあります。

例えば、

「失敗したらどうしよう」

と不安になっている時。

その自分に完全に入り込んでいると、

その失敗が人生の一大事のように感じます。

でも、少し離れて、

「お、今かなり失敗を怖がっているな」

と見る。

そして、

もし同じことで知り合いが悩んでいたら、自分は何と言うだろうと考える。

たぶん、

「まあ、失敗しても大丈夫じゃない?」

と言う。

自分のことになると世界の終わりのように感じるのに、

他人のことになると、意外と冷静です。

だから、

自分から半歩離れる。

これだけで、問題との距離が少し広がります。

人生には、余白が必要なのだと思います。

昔から、「一見役に立たないように見えるものが、実は役に立つ」という考え方があります。

例えば、高い場所に細い線が一本だけあったら、怖くて歩けません。

でも、その線の周りに広い足場があれば、同じ線の上を歩くことができます。

実際に歩いているのは細い部分だけです。

でも、その周りの「使っていない部分」があるから歩ける。

人生も同じではないでしょうか。

ぼーっとする時間。

雑談。

遠回り。

失敗。

意味のないように見える経験。

何もしない時間。

全部を、

「役に立つか、立たないか」

だけで整理してしまったら、

大切な余白までなくなってしまう。

最近はタイムパフォーマンスという言葉もよく聞きます。

もちろん、効率は大切です。

でも、

人生そのものまで効率化しなくてもいい。

役に立たないように見える時間の中に、

後から振り返ると、とても大切なものがあった。

そんなことも、きっとたくさんあります。



7.決めてもいい。でも、決めたことに縛られなくていい

少し前まで私は、

「人のために生きたい」

と強く思っていました。

それ以前は、

もっと自分の人生を生きたい。

自分の可能性を広げたい。

そんなことを考えていました。

どちらも、今でも大切です。

でも最近、

「自分のために生きる」

「人のために生きる」

そんなことさえ、どちらでもいいのかもしれない。

と思うようになりました。

人のために生きる。

と決める。

それは素晴らしいことです。

でも、

「人のために生きなければならない」

になった瞬間、

それもまた新しいルールになる。

だから、

決めていい。

目標を持っていい。

頑張っていい。

でも、

決めた自分にまで縛られなくていい。

昨日はこう思っていた。

今日は少し違う。

それでもいい。

自分は変わります。

周囲も変わります。

身体の調子も変わります。

気持ちも変わります。

ずっと同じように頑張れるはずがない。

だから、

今の自分がどう感じているのか。

疲れているのか。

楽しいのか。

嬉しいのか。

違和感があるのか。

そういう感覚は大切にする。

ただし、その感覚にまで執着しすぎない。

感じて、

見て、

また次に進む。

それくらいが、ちょうどいいのかもしれません。



8.肩の力を抜いて、今を生きる

先日、朝ランニングをしていました。

私は走る時、道に落ちているゴミを拾えるように、小さな袋を持っています。

いつもなら一枚だけ取れる袋が、その日はなぜか二枚取れました。

「あ、一枚多く取れたな」

と思って、ポケットに入れて走り始めました。

そしてゴミを拾っていると、一枚目の袋がいっぱいになりました。

そこで、

「そういえば、もう一枚あったな」

と思い出しました。

結果的に、その日は二袋分のゴミを拾いました。

もちろん、

ただ偶然、二枚取れただけ。

そう考えることもできます。

でも私は、

「今日は二枚必要だったから、二枚出てきたのかもしれない」

と思いました。

本当のところは分かりません。

でも、私はその方が楽しい。

そして、幸せです。

私は昔から、

人生に無駄はない、

と思って生きてきました。

本当にすべてに意味があるのかは分かりません。

でも、

起きたことに意味を見つけることはできる。

同じ出来事でも、

「最悪だった」

と見ることもできる。

「これも何かにつながるかもしれない」

と見ることもできる。

私は最近、

こういう力を、

「幸せ力」

と考えています。

幸せな出来事だけを集める力ではありません。

自分の思い通りの人生を作る力でもありません。

起きた出来事の中から、自分なりの幸せを見つける力。

それがあれば、

成功してもしなくても、

思い通りになってもならなくても、

人生を味わうことができる。

もちろん、私自身もまだまだ力みます。

評価が気になる時もあります。

うまくやりたいと思います。

失敗したくないと思います。

家族に「こうしてほしい」と思う時もあります。

もっと成長したいと思う時もあります。

だから、

「肩の力を抜いて生きられるようになりました」

と言いたいわけではありません。

むしろ、

肩に力が入っている自分に気づけるようになってきた。

それくらいです。

気づいたら、

一度呼吸をする。

肩を落とす。

身体を感じる。

自分から半歩離れてみる。

「それ、本当にそんなに大問題かな?」

と聞いてみる。

「その物差し、本当に自分のものかな?」

と考えてみる。

そして、

今、目の前にあるものを見る。

それでいいのではないでしょうか。

成功してもいい。

失敗してもいい。

頑張ってもいい。

休んでもいい。

自分のためでもいい。

人のためでもいい。

目標を持ってもいい。

途中で変えてもいい。

人生を、

そんなにうまくやろうとしすぎなくてもいい。

肩の力を少し抜く。

すると、見えなかったものが見えてくるかもしれません。

聞こえなかったものが聞こえてくるかもしれません。

そして何より、

ずっと未来に置いていた「幸せ」が、

実は今ここにもあったことに、

少しずつ気づけるのかもしれません。



9.最後に、読んでくださったあなたへ

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

もし今、

頑張っているのに少し苦しい。

ちゃんとやっているはずなのに、なぜか満たされない。

もっと成長しなければ。

もっと期待に応えなければ。

もっと自分を変えなければ。

そんなふうに感じているのであれば、今日だけでも少し、肩の力を抜いてみてください。

何かを諦める必要はありません。

目標を捨てる必要もありません。

頑張ることをやめる必要もありません。

ただ、

「今、自分は少し力みすぎていないかな」

と気づくだけでもいいと思います。

一度、ゆっくり呼吸をする。

肩を落としてみる。

自分から半歩離れてみる。

周りからどう見られているかではなく、

「自分は、今この世界をどう見ているんだろう」

と問いかけてみる。

それだけで、少し違う景色が見えることがあります。

私自身も、まだその途中です。

今でも力みます。

迷います。

人と比べます。

失敗したくないと思います。

それでも以前より少しずつ、

「まあ、これでもいいか」

と思える瞬間が増えてきました。

私は、人生は正解を当てるゲームではないと思っています。

誰かの人生を上手に真似することでもない。

あなたには、あなたにしか見えない世界があります。

だから、無理に誰かの正解に合わせなくてもいい。

少し肩の力を抜いて、

自分の目で見て、

自分の身体で感じて、

今日という一日を生きてみる。

その積み重ねの先に、

「これでよかったな」

と思える人生があるのではないか。

私は今、そんなふうに思っています。

この文章が、あなたが少し肩の力を抜くきっかけになれば、とても嬉しいです。



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