人間はやってもらってると、そのうちやってもらってることが当たり前になる。
でも、自分の中では『やってもらってる』という意識はある。
だから、人はよく「やってもらってありがとうとは思ってるよ」と言う。
「やってもらってありがとう」と思っているなら、なんで自分でしないんだろう…と思ってしまった。自分に。
うちの母親は世話焼きだ。無意識に“超”がつくぐらい、色々と世話を焼いてくれる。本当はそこまでしてもらわなくても大丈夫と思いながらも、それを言うと「余計なお世話やったね」と拗ねるように言われるから、おとなしくやってもらっていたが…
昔はそれでよかったかもしれないけど…さすがにアラフォーおばさんが、母親が拗ねるから…と言う理由で、自分は手出しもせず座ったままで、ごはんが出てくるのを待っているだけの自分に違和感を覚えてしまった。
母親は父親の分も用意して、父親はさも当たり前のようにごはんを平らげて、使った食器をそのまま食卓の上に置いているが…せめてそれを片付けようという意志を見せるように、ちょっと腰を浮かすぐらいの動きもしないのだろうか…
と思った時に、私もおとなしく座ったままで用意されたごはんを食べて、私は食卓の上のターンテーブルに乗せて母親の前まで運ぶが、座ったままなのには変わりない。やってる事は父親と同じなんじゃないだろうか。と思ってしまった。
父親は使った食器をターンテーブルの上に置いて、と言われてから置くが、私は言われる前に置く。ただそれだけの違い。そんなもの違いにもならない。母親の負担は何も変わっていないのだ。
「やってもらって当たり前」だと思っている父と「やってもらってありがとうとは思っている」私は、行動としては、何の大差もない。
「ありがとう」なんて、言葉で言うのは簡単で、言っただけで感謝してる「つもり」にでもなってたんだろうと思う。自分は。
そう思うと、「やってもらってありがとうと思っている」なんて言葉を言うだけじゃなく、
母親が拗ねる暇を与えず、仕事を奪ってでもやるぐらいのことをやった方が、自分の『何もしていない役立たず』と思う気持ちは、少し軽くなるかもしれない。と思った。
さて、じゃあとりあえず…今晩してみるか。『母親の仕事を奪おう大作戦』決行だ。
そんな感じで、薄々自分でも思っている「自分は悪いかもしれない」という気持ちを、一緒に整理してみませんか?
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