愛に溺れ、愛に気づくまで  ― 北斗の拳・サウザーの言葉から考える「本当の愛」―

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愛に溺れ、愛に気づくまで 
― 北斗の拳・サウザーの言葉から考える「本当の愛」―






●少年ジャンプ世代が心に刻んだ「愛ゆえに」の言葉



私は現在48歳、まさに少年ジャンプの黄金世代です。
その中でも今なお心に残っているのが『北斗の拳』。




登場人物のひとり、南斗六聖拳のサウザーが放つこのセリフを、今でも鮮明に覚えています。



「愛ゆえに人は苦しまねばならぬ!」
「愛ゆえに人は悲しまねばならぬ!」
「こんなに苦しいのなら、こんなに悲しいのなら…愛などいらぬ!」



この言葉に、若い頃の私は強く共鳴していました。
なぜなら、まさに「愛」に振り回されていたからです。






●劣等感に覆われた青春と、「自己肯定」との出会い



26歳までの私は、劣等感の塊でした。
自分も、自分の家族も、自分の周りの人間関係すらも嫌いで、
「こんな場所から早く出たい」と思いながら生きていました。



大学進学をきっかけに東京へ出たのも、「故郷を捨てる」ため。
しかし、逃げるように離れた場所では、何もうまくいきませんでした。



そして、26歳で地元・松本に戻り、偶然受けたNLP系のセミナーで、
初めて「自己肯定」という言葉に出会い、「愛」という感情を意識しました。
しかし今思えば、それは「愛」ではなく、**自己満足的な“愛ごっこ”**でした。






●「愛に飢え」「愛に溺れ」た日々の果てに



26歳までの私は「愛に飢えた」人間。
そしてその後は、「愛に溺れた」人間でした。



「愛されたい」「認められたい」「理解されたい」――
その思いが強すぎて、周りを巻き込み、迷惑をかけながらも、
どこかで“キレイゴト信者”として自分を正当化していたのです。



37歳の頃、内海先生の考え方に触れたことで、ようやく目が覚めました。
「自己卑下」「自己否定」という、一見ネガティブに見えるものの中にこそ、
本当の自己理解があることを知ったのです。



自分がこれまで信じてきた「愛」は、
実は“自分の都合のいい愛”でしかなかった――。
そのことに気づいたとき、
初めてサウザーのセリフの意味を本当の意味で理解しました。







●「愛」を語らずとも生きられるという自由



今の私は、「愛」という言葉を特別視していません。
ただ、「好きなように生きる」こと、
会いたい人に会い、行きたい場所に行くことを大切にしています。



そして、私のまわりの大切な人たちに、
ささやかでもいい、“幸せ”が訪れてほしいと願う。
その祈りのような感情こそ、
今の私にとっての「愛」なのだと思います。






●「愛」を求めるより、「愛」を手放す勇気を



若い頃の私は「愛」に飢え、
その後「愛」に溺れ、
いまようやく「愛」を手放すことの自由を知りました。



愛とは“執着”でも“綺麗な言葉”でもなく、
「相手を、ただ願う気持ち」。
それで十分なのかもしれません。






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