救えない医療から“自分を映す医療”へ
― 医療業界が抱える建前と依存の構造 ―
●はじめに
私は長年、柔道整復師として医療業界に身を置いてきました。
そこで強く感じたのは、「人を救う」という大義名分が、実際には医療業界を正当化するための“建前”になってしまっているということです。
私自身、柔道整復師になりたての頃は「人を救いたい」「人に貢献したい」「社会の役に立ちたい」と、純粋にそう思っていました。けれど現実に待っていたのは、その理想とはあまりにかけ離れた社会構造でした。
●共依存する医療と患者
医療の現場では、医療者側に「本気で救う気」がなく、患者側にも「治す覚悟」がない場合が多々あります。
· 医療者は患者を“金のタネ”として扱い、どうやって依存させるかを考える。
· 患者は「助けてほしい」という欲望や願望を満たしてくれる相手を探し回る。
この両者の利害が一致することで「共依存の関係」が成り立っているのです。
私はその姿を見たとき、親子関係における共依存の構造と重なって見えました。
●退化する社会と人間の本質
医療費は増え続け、業界は「いかに依存させるか」という方向に進み、患者は「どこに依存できるか」を探してさまよい続けています。
そんな状況の中で私自身も、整骨院を始めた頃は「どうすれば依存させて利益を得られるか?」と考えていた時期がありました。
転機になったのは、1938年にプライス博士が著した『食生活と身体の退化』との出会いです。
そこには「文明化された食を続けるほど、人の体と心は退化していく」と明確に記されていました。
つまり、
· 便利さが増すほど心は貧しくなる。
· 効率化が進むほど、人の心は弱っていく。
この視点に立ったとき、人間の本質が見えてきます。
それは「自己正当化」「自己保身」「被害者のふりをした加害者意識」。
こうした要素が社会に溢れている以上、「誰も本当には救えない社会」が形作られてしまうのです。
●救えないからこそ見えてくるもの
「救おう」とするほど人の心は不純になり、「大義名分」という魔薬に取り憑かれます。
だからこそ、私は「誰も救えないし、誰も救う必要はない」と考えるようになりました。
では、医療にできることは何か?
それは“患者の合わせ鏡となり、その人の心の闇を映し出すこと”です。
救いのない現実を直視し、とことん味わったときにはじめて、人は依存から解放されるきっかけを得られるのではないか。
そう私は感じています。