【阪田和典】なぜ私は「影の形」に嫉妬したのか

記事
ビジネス・マーケティング
夕方、窓際に立っていたとき、自分の影を見てふと思った。なんだか、私より自由そうだなと。影はどんな姿にもなれる。床に伸びたり、壁を這ったり、光の強さで形を変える。それに比べて私は、いつも同じ姿勢で、同じ場所で、同じ時間を繰り返している。少し悔しくなった。影に嫉妬するなんて、我ながらおかしい。でも、そこから妙に考え込んでしまった。

影って、私たちの「存在の証」みたいなものだと思っていた。でも、よく見るとその関係は一方通行だ。光がなければ、影は生まれない。私がいなければ、影も存在できない。それなのに、どこか自分より軽やかに見えるのはなぜだろう。もしかしたら、影は“理想の自分”の形なのかもしれない。

仕事をしているときも、同じような感覚になることがある。自分の理想と、今の自分との間にできる「ズレ」。それはまるで、自分が作り出した影のようだ。理想の私は、もっと賢く、もっと早く、もっと柔軟に動ける。だけど現実の私は、なかなかそうなれない。気づくと、理想の影ばかりを見て落ち込む日もある。

でも、最近になって思う。影って、消そうとすると逃げるけど、受け入れると一緒に動く。つまり、自分の欠点や不安も、無理に克服しようとせず、隣に並べばいいのかもしれない。そう思えるようになってから、ちょっとだけ生きるのが軽くなった。

ある日、街を歩いていると、夕日を背にした影が長く伸びていた。ふと振り返ると、私の後ろにもう一つの自分が静かに並んでいる。少し背中が曲がっていたけど、それも悪くなかった。仕事でミスをして落ち込んでいた帰り道だったけれど、その影を見て笑ってしまった。ああ、今日もちゃんと生きてるなって。

それ以来、私は時々「影チェック」をするようになった。忙しくて余裕がないとき、夕方に外を歩いて、自分の影を見てみる。姿勢が前のめりだと、焦ってる。影が小さく見える日は、ちょっと元気が足りない。そんな日々の小さな観察が、自分を見つめ直すきっかけになっている。

そして最近気づいた。私たちが誰かに頼られたり、感謝されたりするとき、その瞬間に相手の中に自分の「影」が生まれている。つまり、自分が誰かの影にもなっているのだ。そう考えると、影ってただの副産物じゃない。ちゃんと人とのつながりの中で、形を変えて生きている。

だから今では、嫉妬よりも感謝のほうが強い。影があって、私がいて、その間に光がある。このシンプルな構造に、なんだか大切なことが全部詰まっている気がする。

もしも今日、何かに落ち込んでいるなら、少しだけ夕日を浴びてみてほしい。あなたの影は、きっと優しく寄り添ってくれる。完璧じゃなくてもいい。歪んでても、曲がってても、それでも一緒に立ってくれているのだから。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す ココナラコンテンツマーケット ノウハウ記事・テンプレート・デザイン素材はこちら