私は恋愛依存だったんじゃない。置いていかれるのが怖かった。
この記事を書こうと思った理由は、とてもシンプルです。
40歳になって初めて、
「あぁ、私はずっと勘違いしていたんだ。」
そう思えたからです。
私は長い間、自分のことを恋愛依存だと思っていました。
好きな人ができると、その人しか見えなくなる。
返信が遅いだけで不安になる。
「好き」と言われても安心できない。
毎日会いたい。
もっと一緒にいたい。
嫌われたくない。
だから言いたいことも言えない。
そんな恋愛ばかり繰り返してきました。
だから私は、
「私って恋愛依存なんだ。」
そう思っていました。
でも40歳になって、自分の人生をゆっくり振り返ってみると、少し違う景色が見えてきました。
私が本当に怖かったのは、恋愛が終わることじゃなかった。
置いていかれること。
たったそれだけだったんです。
そう気づいた時、恋愛だけじゃなく、自分の人生そのものが少しずつつながっていきました。
この記事は、恋愛テクニックを書くnoteではありません。
「こうすれば恋愛依存は治ります。」
そんなことも書きません。
私には、そんなことを言える資格もありません。
これは、ネグレクトな家庭で育ち、二度の離婚を経験し、それでも恋愛になると自分を見失っていた、私の記録です。
振り返ると、私はずっと誰かに愛されたかったんだと思っていました。
でも、それも少し違いました。
本当に欲しかったのは、
「あなたは置いていかれないよ。」
という安心だったんです。
その安心を、恋人に求め、結婚に求め、「好き」という言葉に求め続けてきました。
でも、どれだけ求めても心は満たされませんでした。
答えは、相手の中にはなかったからです。
このnoteを書きながら、昔の自分を何度も思い出しました。
泣きながら母を探していた幼い頃のこと。
普通の子を演じていた中学生のこと。
返信を待ち続けていた高校生のこと。
「私が我慢すればいい。」
そう思っていた結婚生活のこと。
そして40歳になってようやく、
「私のままでいい。」
そう思えるようになった今のこと。
どれも私にとって、大切な人生です。
だから、良いことだけを書くつもりはありません。
もし今、このnoteを読んでいるあなたが、
恋愛になると苦しくなる人なら。
嫌われるのが怖くて、本音を飲み込んでしまう人なら。
「もっと愛されたい。」
そう思うたびに、自分を責めてしまう人なら。
この先に書く私の話は、もしかしたら何かの答えになるかもしれません。
答えというより、
「私だけじゃなかったんだ。」
そう思える時間になるかもしれません。
これは、「幸せになる方法」を書いた記事ではありません。
遠回りばかりだった私が、40歳になってようやく自分を好きになり始めた、その途中のお話です。
もしよければ、もう少しだけ私の人生にお付き合いください。きっと、この物語は恋愛の話だけでは終わりません。ここから始まるのは、「誰かに愛される私」を探し続けた人生から、「私として生きる私」を見つけるまでの、本当の物語です。
第1章
愛されたかったんじゃない。お母さんに置いていかれたくなかった。
私には、幼い頃の記憶があまりありません。
でも、一つだけ何度思い出しても消えない景色があります。
幼稚園の頃。
私は泣きながら、お母さんを探していました。
家の中を探してもいない。
外へ出てもいない。
近所を見てもいない。
「どこに行っちゃったの。」
その言葉を何度口にしたのかも覚えていません。
ただ、小さな私は必死でした。
母はギャンブルが好きでした。
借金を繰り返し、家を出て行くことも珍しくありませんでした。
「また家出した。」
それは私にとって特別な出来事ではなく、日常でした。
だから私は、小さい頃から
「大切な人が突然いなくなる。」
という世界で育ちました。
不思議なんですが、母が帰ってくると私は怒りませんでした。
泣きながら抱きついていました。
「どこ行ってたの。」
そう責めた記憶もありません。
帰ってきてくれた。
それだけで安心していました。
今思うと、私は母に愛されたかったんじゃありません。
ただ、
置いていかれたくなかった。
それだけだったんです。
家の中は、安心できる場所ではありませんでした。
異父姉妹との関係も良くなくて、家族みんなで笑ってご飯を食べるような記憶は、ほとんどありません。
家に帰るのが楽しみだったこともありません。
だからといって、学校が好きだったわけでもありません。
学校も行きたくない。
でも家にいるよりは学校の方がまし。
だから毎日学校へ行っていました。
居場所を探していたというより、
「ここしか行く場所がない。」
そんな気持ちだったと思います。
子どもの頃の私は、きっと人より早く空気を読む子でした。
大人が怒っている。
機嫌が悪い。
今は話しかけない方がいい。
そんなことばかり考えていました。
自分の気持ちより、周りの様子を見て動く。
それが当たり前になっていました。
だから、「私はどうしたい?」なんて考えたこともありません。
子どもなのに、子どもらしく甘えられなかった。
今振り返ると、それが少し切ないです。
私はずっと、
「頑張れば、誰かが迎えに来てくれる。」
そんな気持ちで生きていたのかもしれません。
いい子でいれば。
迷惑をかけなければ。
笑っていれば。
そうすれば、誰かが私を置いていかない。
幼い私は、本気でそう信じていました。
でも、その考え方は大人になっても変わりませんでした。
恋愛をすると相手に合わせる。
嫌われないように笑う。
本当の自分は隠す。
私はそれを「優しさ」だと思っていました。
でも本当は違いました。
それは、幼い頃から身につけた
「自分を守る方法」
だったんです。
そのことに気づくのは、ずっと先の話になります。
中学生になって初めて彼氏ができた時、私は恋をしたというより、「普通の女の子」になれた気がしました。
でも、その幸せは長く続きませんでした。
私はその頃にはもう、「本当の自分」より「好かれる自分」を選ぶことが当たり前になっていたからです。
次の章では、初めて彼氏ができた中学生の私が、どうして「普通の子」を演じ続けたのか、その頃の気持ちを正直に書いてみようと思います。そこには、今振り返ると少し胸が苦しくなる、15歳の私がいました。
第2章
「普通の子」を演じた中学生の私
中学生になって、初めて彼氏ができました。
あの頃の私は、それだけで世界が変わったような気がしていました。
「私にも彼氏ができた。」
それが嬉しくて仕方ありませんでした。
でも、その嬉しさと同じくらい、心の中には大きな不安がありました。
「本当の私を知られたら、嫌われる。」
それが、ずっと頭から離れなかったんです。
私の家庭は、隠せるような環境ではありませんでした。
近所でも、学校でも、「あの家はいろいろある」と知られていました。
子どもって、大人が思っている以上に周りを見ています。
だから私は、
「普通の家庭で育った子」
を演じるようになりました。
家の話はしない。
母の話もしない。
寂しかったことも話さない。
「昨日ね。」
そんな何気ない会話ですら、私には少し怖かった。
普通の子なら話せる思い出が、私にはあまりなかったからです。
だから彼の前では、別人でした。
いつも笑っている子。
明るい子。
悩みなんてなさそうな子。
本当は不安でいっぱいなのに、
「大丈夫。」
そう言って笑っていました。
今思えば、彼に好かれていたかったというより、
普通の女の子として見てもらいたかった。
その気持ちの方が強かったのかもしれません。
あの頃の私は、恋愛のたびに無意識に自分へ問いかけていました。
「私はどうしたい?」
ではなく、
「どうしたら嫌われない?」
この違いに気づいたのは、40歳になってからです。
好きな人ができると、その人の好きそうな自分になろうとする。
嫌われそうなことは言わない。
相手に合わせる。
その方が恋愛はうまくいくと思っていました。
でも、本当は違いました。
私は恋愛をしていたんじゃありません。
“安心できる居場所”を探していたんです。
中学生の恋は、長くは続きませんでした。
別れた日のことは、正直あまり覚えていません。
でも、一つだけ覚えている感情があります。
それは、
「また一人になっちゃった。」
という気持ちでした。
彼を失った悲しみより、
自分を気にかけてくれる人がいなくなったような寂しさ。
それが一番苦しかった。
今なら分かります。
私は彼を失ったんじゃない。
「居場所」を失ったような気持ちになっていたんです。
あの頃の私は、それが恋だと思っていました。
誰かを好きになるということは、
その人が自分の世界の全部になること。
その人がいなくなれば、自分の世界も終わること。
そんな極端な恋愛しか知りませんでした。
だから別れのたびに、
「私に魅力がなかったのかな。」
「もっと頑張ればよかったのかな。」
そうやって、自分を責めていました。
相手との相性を考えることもなく、
「私が悪い。」
それが私の結論でした。
今思うと、15歳の私は本当に頑張っていました。
誰にも心配をかけないように笑って、
誰にも弱さを見せないようにして、
好きな人には「いい彼女」でいようと必死でした。
でも、本当は誰かに言ってほしかったんです。
「無理して笑わなくていいよ。」
その一言を。
でも、その頃の私はまだ知りませんでした。
「嫌われない恋」を覚えた私は、高校生になるともっと苦しくなっていくことを。
付き合う相手は年上になり、会える時間も少なくなる。
返信を待つ時間が増え、「好き」という言葉を求めるようになる。
そして私は、「恋をしている」と思いながら、実はずっと「忘れないで」と叫び続ける恋愛を繰り返していくのでした。
第3章
「好き」じゃなく、「忘れないで」が恋だった。
高校生になると、付き合う相手は少しずつ年上になりました。
相手は社会人。
仕事がある。
会いたくても会えない日がある。
返信が遅い日もある。
今なら、その当たり前が分かります。
でも当時の私は、その”当たり前”を受け止められませんでした。
携帯を開く。
まだ返信はない。
閉じる。
数分後、また開く。
「仕事中かな。」
そう思った数秒後には、
「もしかして嫌われた?」
また不安になる。
その繰り返しでした。
一日に何回携帯を見ていたのか、もう覚えていません。
でも、ずっと誰かを待っていたことだけは覚えています。
返信が来ると、すごく嬉しい。
胸が軽くなる。
「よかった。」
そう思う。
でも、その安心は長く続きませんでした。
次の日には、また同じことを繰り返す。
「昨日は好きって言ってくれた。」
なのに今日は、
「もう気持ちが冷めたのかな。」
そんなことを本気で考えていました。
今振り返ると、不思議なくらい自分を信じられていませんでした。
当時の私は、
「もっと好きって言って。」
「もっと会いたい。」
そんな言葉ばかり口にしていました。
でも、本当に伝えたかった言葉は違いました。
「お願いだから、私を忘れないで。」
だったんです。
私は”好き”を求めていたんじゃありません。
安心を求めていました。
「今日もちゃんと私を好きでいてくれる。」
その確認を、何度もしないと落ち着けなかったんです。
だから恋愛をすると、世界がその人だけになりました。
友達との予定も変える。
自分のやりたいことも後回し。
会えると言われたら何が何でも飛んで行く。
私はそれを「一途」だと思っていました。
でも違いました。
一途だったんじゃありません。
自分の人生がなかった。
恋愛だけが、生きている実感でした。
今思えば、私は恋人を見ていたようで、全然見ていませんでした。
相手がどんな人なのか。
どんな考え方をする人なのか。
何を大切にして生きている人なのか。
そんなことよりも、
「今日も私を好きでいてくれているかな。」
それしか見えていませんでした。
だから、一目惚れも多かったんだと思います。
相手を知る前に、自分の気持ちだけが一気に燃え上がる。
「この人だ。」
そう思った瞬間から、相手の本質ではなく、自分の理想を見て恋をしていました。
今なら分かります。
私は恋をしていたんじゃない。
恋という形を借りて、
「ここにいていいよ。」
と言ってくれる場所を探していました。
それは幼い頃からずっと欲しかったものだったのかもしれません。
だから返信が遅いだけで怖くなる。
だから少し距離を感じるだけで涙が出る。
相手が悪いわけじゃない。
私の心が、ずっと「置いていかれること」を怖がっていたんです。
でも、その頃の私は、そのことに気づくはずもありませんでした。
「もっと尽くせばうまくいく。」
「もっと我慢すれば愛される。」
そう信じていました。
だから恋愛を重ねるたびに、私はどんどん頑張るようになります。
言いたいことを飲み込み、
嫌なことも笑って受け入れ、
「いい彼女」でいようとする。
その積み重ねが、やがて二度の結婚へとつながっていきました。
私は結婚すれば、この不安はなくなると思っていたんです。
でも現実は、そう甘くありませんでした。
むしろ結婚したことで、私は今まで以上に「自分」を見失っていくことになります。
次の章では、二度の離婚を経験した私が、「男運が悪かった」という一言では片づけられなかった理由について、お話ししたいと思います。
第4章
二度の離婚で気づいたこと
私は二度結婚し、二度離婚しました。
その話をすると、
「男運が悪かったんだね。」
と言われることがあります。
昔の私は、その言葉を否定できませんでした。
「そうなのかもしれない。」
本気でそう思っていました。
でも40歳になった今は、少し違う見方をしています。
男運だけじゃなかった。
私は、好きになった瞬間に相手の本質を見なくなっていたんです。
二人とも、一目惚れでした。
好きになると一直線。
「この人だ。」
そう思った瞬間から、私の世界はその人中心になります。
相手が何を考えている人なのか。
どんな価値観を持っているのか。
人として尊敬できる人なのか。
そんなことよりも、
「好き。」
その気持ちだけが先に走っていました。
だから、違和感があっても見ないようにしていました。
一人目の結婚生活は、思い描いていたものとは全然違いました。
仕事は続かない。
ギャンブルにのめり込む。
家のこともほとんどしない。
財布からお金を取られたこともありました。
今こうして書くと、
「なんですぐ離婚しなかったの?」
そう思う人もいるかもしれません。
でも、その頃の私は離婚することより、
嫌われることの方が怖かった。
だから、
「私が頑張れば変わるかもしれない。」
「私が支えればうまくいくかもしれない。」
そうやって、自分に言い聞かせていました。
二人目も同じでした。
結婚する前は見えなかったことが、結婚すると少しずつ見えてきます。
私は妻というより、家政婦のような存在でした。
家のことは私。
生活費も家賃以外はほとんど協力してくれない。
休みの日はギャンブル。
心のどこかで、
「これっておかしいよね。」
そう思っていました。
でも、その気持ちは口にできませんでした。
「嫌だ。」
その一言を言ったら、この人まで離れていく気がしたからです。
今思うと、私は結婚生活でもずっと”いい人”でした。
怒らない。
我慢する。
空気を壊さない。
頼まれたら断らない。
私はそれを優しさだと思っていました。
でも違いました。
私は優しかったんじゃない。
怖かった。
ただ、それだけだったんです。
嫌われること。
見捨てられること。
一人になること。
その恐怖が、私から言葉を奪っていました。
離婚した時、私は泣きませんでした。
不思議なくらい涙は出ませんでした。
後悔もありませんでした。
私は離婚を恥だと思ったことがありません。
むしろ、
「やっと終われた。」
その気持ちの方が強かったんです。
ようやく息ができる。
ようやく自分に戻れる。
そんな感覚でした。
ただ、一つだけ。
元旦那たちに感謝していることがあります。
大切な子どもたちに出会わせてくれたこと。
それだけは、今でも心からありがとうと思っています。
だから私は、自分の結婚を全部否定したいわけではありません。
あの時間があったからこそ、今の私があります。
二度の離婚を経験して、私はようやく一つのことに気づきました。
私はいつも、
「どんな人を好きになるか。」
ばかり考えていました。
でも本当に大事だったのは、
「好きになった時の私は、どんな私だったか。」
ということでした。
私は恋をすると、自分を見失う。
相手を優先する。
本音を飲み込む。
そのクセが変わらない限り、相手だけ変わっても同じ恋愛を繰り返してしまう。
ようやく、そのことを認められるようになりました。
それでも、人は簡単には変われません。
二度離婚したからといって、恋愛のクセまで消えたわけではありませんでした。
今の彼と出会った時も、私はまた同じように「嫌われたくない」と思い、いい彼女を演じようとしていました。
「もう私は変わった。」
そう思っていたのに、心の奥には昔の私がまだいました。
でも、この恋だけは今までと決定的に違いました。
彼は、私がどれだけ頑張っても、自分を曲げない人だったんです。
その姿が、少しずつ私の恋愛を変えていくことになります。
第5章
30代後半、恋愛が突然苦しくなくなった。
二度離婚をしても、私はすぐに変われたわけではありませんでした。
「もう同じ失敗はしない。」
そう思っていても、恋愛になると昔の私が顔を出します。
好きになると、その人のことばかり考える。
返信が来なければ不安になる。
「嫌われたかな。」
そんな毎日を、また繰り返していました。
だから、今の彼と出会った頃も、最初は今までと何も変わっていなかったんです。
でも、30代後半になった頃から、自分でも説明できない変化が少しずつ起こり始めました。
一番驚いたのは、
「毎日会いたい」と思わなくなったこと。
昔の私なら考えられません。
好きな人とは、毎日でも会いたかった。
少しでも一緒にいたかった。
会えない日は寂しくて、時計ばかり見ていました。
それが恋愛だと思っていました。
でも、ある日ふと気づいたんです。
「あれ?今日は一人でいたい。」
そんな日が増えていました。
さらに不思議だったのは、週に一回会うという約束さえ、少し窮屈に感じる日があったことです。
「今日は家でゆっくりしたい。」
「今日は自分のことをしたい。」
昔なら絶対に思わなかったことです。
最初は、
「私、彼のこと好きじゃなくなったのかな。」
そう思いました。
でも違いました。
好きじゃなくなったんじゃない。
恋愛以外にも、大切なものができた。
ただ、それだけだったんです。
自分の時間を楽しめるようになりました。
好きな本を読む。
映画を見る。
一人でのんびり過ごす。
サロンへ通う。
新しいことに挑戦してみる。
恋愛をしていない時間が、つまらなくなくなったんです。
むしろ、その時間が楽しいと思えるようになりました。
今までの私は、「彼といる時間」が幸せでした。
でも少しずつ、「私として過ごす時間」も幸せになっていったんです。
この変化は、自分でも驚きでした。
昔は、「もっと愛されたい」と思っていました。
でも30代後半になると、愛されることだけを求めなくなっていました。
もちろん、好きな人から大切にされるのは嬉しい。
でも、それだけで自分の価値が決まるわけじゃない。
そんなふうに思える日が増えていきました。
今思えば、それまでの私は「恋愛をしている私」が好きだったのかもしれません。
誰かに必要とされている。
誰かに愛されている。
それが、自分の価値だと思っていました。
でも、それだけじゃなかった。
仕事を頑張っている私も好き。
子どもと笑っている私も好き。
一人で好きなことをしている私も好き。
そんなふうに思えるようになった時、恋愛は人生の主役ではなくなりました。
もちろん、不安がゼロになったわけではありません。
今の彼と付き合い始めた頃も、返信が遅い日はありました。
「何してるんだろう。」
「嫌われたかな。」
そう思う日もありました。
でも昔と違ったのは、その不安に飲み込まれなくなったことです。
昔なら、その不安だけで一日が終わっていました。
でも今は、
「まあ、仕事かもしれない。」
「また後で連絡くるか。」
そう思って、自分のやることに戻れるようになったんです。
これは恋愛テクニックを覚えたからではありません。
自分の人生が、恋愛だけじゃなくなったから。
そして、もう一つ大きな変化がありました。
私は、彼を変えようとしなくなりました。
昔なら、
「もっと連絡して。」
「もっと好きって言って。」
そう思っていました。
でも今は違います。
彼は彼。
私は私。
その境界線を、少しずつ持てるようになりました。
不思議ですよね。
昔は、「一つになりたい」と思っていた私が、今は「違う人間だからこそ、一緒にいられる」と思えるようになったんです。
私はよく、「恋愛依存はどうやって治したんですか?」と聞かれることがあります。
でも正直に言うと、私は「治そう」と思って治したわけではありません。
自分の人生を少しずつ取り戻していったら、気づいた時には恋愛の苦しさが小さくなっていました。
だから私は今でも、「恋愛依存を克服した」とは思っていません。
ただ、自分を後回しにしない生き方を覚えただけなんです。
そして、この変化を決定的なものにしてくれたのが、今の彼でした。
彼は、私に「こうした方がいい」と教えたことは一度もありません。
それでも私は、彼と過ごす時間の中で、一番大切なことを教わりました。
「君が好きな君が好き。」
そのたった一言が、何十年も「誰かに好かれる自分」を演じてきた私の心を、ゆっくりほどいてくれたのです。
第6章
「君が好きな君が好き。」
今の彼と出会った時も、私は昔と何も変わっていませんでした。
二度離婚をしていても、
「もう同じ恋愛はしない。」
そう思っていても、
好きになると昔の私が出てきました。
返信が遅い。
「何してるんだろう。」
「嫌われたかな。」
携帯を何度も開いては閉じる。
「好きって言ってほしい。」
「愛されてるって安心したい。」
恋愛依存の記事に書いた毎日を、本当に送っていました。
「私、何も変わってないじゃん。」
そう思って落ち込んだ日もあります。
でも、今までの恋愛と一つだけ決定的に違うことがありました。
私は彼を変えられなかったんです。
今までの私は、相手に合わせて生きてきました。
だから、どこかで「相手も私に合わせてくれる」と思っていたのかもしれません。
でも彼は違いました。
私が不安になっても、
私が機嫌を悪くしても、
必要以上に慌てない。
無理に機嫌を取ろうともしない。
かといって突き放すわけでもない。
ただ、いつも彼は彼でした。
最初は、その姿が少し冷たく見えました。
「なんでそんなに平気なの?」
そう思ったこともあります。
でも、一緒に過ごす時間が増えるにつれて気づきました。
平気なんじゃない。
自分を見失わない人なんだ、と。
ある日、何気ない会話の中で彼に聞きました。
「どんな髪型が好き?」
昔の私は、この質問をよくしていました。
相手がロングが好きなら伸ばす。
ショートが好きなら切る。
スカートが好きなら履く。
好きな人の理想に近づくことが、恋愛だと思っていたからです。
でも彼は少し笑って言いました。
「君が好きな髪型の君が好き。」
私はもう一度聞きました。
「じゃあ、どんな服が好き?」
すると彼はまた笑って、
「君が好きな服を着ている君が好き。」
と言いました。
私は少し困ってしまいました。
答えになっていないと思ったからです。
すると彼は続けてこう言いました。
「君が好きな君が好きだから。」
その言葉を聞いた瞬間、
なぜか涙が出そうになりました。
彼はきっと、何気なく言った一言だったと思います。
でも私には、その一言が今まで誰からも言われたことのない言葉に聞こえました。
私はずっと、
「誰かに好かれる自分」
を作って生きてきました。
普通の家庭で育った子を演じた中学生。
嫌われない彼女を演じた高校生。
いい妻を演じた結婚生活。
そして今もまた、
「彼に好かれる彼女」
になろうとしていました。
そんな私に初めて、
「演じなくていいよ。」
と言われた気がしたんです。
それから少しずつ、私は彼を見るようになりました。
今までの私は、恋をすると自分の不安しか見えませんでした。
でも彼は違いました。
約束を守る人でした。
人の悪口を言わない人でした。
誰かに流されない人でした。
自分の考えをちゃんと持っている人でした。
そして、私に対しても嘘をつかない人でした。
私は恋をして初めて、
「この人を尊敬している。」
と思いました。
その瞬間、気づいたことがあります。
私は今まで、
外見や優しさに恋をしていたんじゃない。
寂しさを埋めてくれる人を探していただけだった。
でも彼は違いました。
一人の人間として尊敬できる。
だから好きなんだ。
それが40歳になって初めて知った、本当の恋愛でした。
昔の私は、「好き」と言われることで安心しようとしていました。
でも安心は、何日も続きませんでした。
また不安になって、
また確認して、
また苦しくなる。
その繰り返しでした。
でも今は違います。
彼は愛情表現が多い人ではありません。
毎日「好き」と言う人でもありません。
それでも私は、不安にならなくなりました。
それは、彼の言葉が増えたからではありません。
彼の本質を知ったからです。
一緒に過ごした時間。
困った時の行動。
何気ない会話。
そういう小さな積み重ねの中で、
私は少しずつ、
「この人は信じられる。」
と思えるようになりました。
そして、不思議なことに、
彼を信じられるようになったら、
「私は愛されていないかもしれない。」
という不安も消えていました。
私は愛情表現を信じていたんじゃない。
彼という人を信じられるようになった。
それが、私の心を一番大きく変えてくれました。
40歳になった今、ようやく分かったことがあります。
恋愛は、「愛されている証拠」を集め続けることじゃない。
相手を知り、
自分を知り、
お互いを信じられる関係を育てていくことなんだ、と。
私はたくさん遠回りをしました。
二度の離婚も経験しました。
恋愛で泣いた夜も数え切れません。
でも、あの時間があったからこそ、今こうして「私らしく恋愛ができる」という幸せを知ることができました。
もし昔の私が今の私を見たら、きっと驚くと思います。
「そんなに自然に笑えるようになったんだね。」
そう言うかもしれません。
私は笑って答えます。
「うん。やっと”誰かに愛される私”じゃなくて、“私として生きる私”を好きになれたから。」
最終章
15歳の私へ。
今、あなたの隣に座れるなら、私は何を話すんだろう。
「これから幸せになれるよ。」
「大丈夫だよ。」
そんなことを言うのかなって思っていました。
でも、何度考えても最初に出てくる言葉は同じでした。
「がんばりすぎね。」
その一言だけでした。
私は人より少し早く大人になってしまいました。
本当は甘えたかったのに甘えられなかった。
本当は泣きたかったのに我慢してきた。
家では空気を読んで、
学校では普通の子を演じて、
好きな人には嫌われないように笑っていました。
誰にも言えなかったけれど、本当はずっと怖かったんだよね。
「また置いていかれるかもしれない。」
その不安を抱えたまま、大人になってしまった。
だから恋愛をすると、一生懸命だった。
好きになった人のことばかり考えて、
返信が来ないだけで苦しくなって、
「好き。」
その一言が欲しくてたまらなかった。
でも、本当に欲しかったのは「好き」という言葉じゃなかった。
「私はここにいていいんだよ。」
その安心だったんだよね。
私は何度も恋をしました。
二度結婚もしました。
二度離婚もしました。
世の中には、それを失敗と言う人もいるかもしれません。
でも私は、そう思っていません。
あの時間があったから、大切な子どもたちに出会えました。
あの時間があったから、自分を見つめ直すことができました。
遠回りだったかもしれない。
でも、無駄だったとは一度も思ったことはありません。
40歳になった私は、ようやく一つのことが分かりました。
幸せって、誰かがくれるものじゃない。
誰かに「好き」と言われ続けることでもない。
毎日会うことでもない。
自分の好きなことをして、
自分の好きな人と笑って、
「今日もいい一日だったな。」
そう思える毎日を積み重ねること。
それが、私にとっての幸せでした。
今でも不安になる日はあります。
人だから。
昔の傷が、ふっと顔を出す日もあります。
でも、もう昔みたいにその不安に振り回されることはありません。
なぜなら私は、「不安をなくす方法」を覚えたんじゃないから。
「私は私のままでいい。」
そう思えるようになったからです。
今の彼は、私を救ってくれた人ではありません。
私を変えてくれた人でもありません。
私が自分を取り戻すきっかけをくれた人です。
そして、私が本当に変われたのは、自分で自分を認められるようになったからでした。
「誰かに好かれる私」じゃなく、
「私として生きる私」でいたい。
そう思えた時、恋愛は苦しいものではなくなっていました。
だから15歳の私へ。
もう無理して笑わなくていい。
普通の子を演じなくていい。
誰かの理想になろうとしなくていい。
私は、私ののままで十分なんだよ。
今は信じられないかもしれない。
でも40歳になったあなたは、ちゃんと笑っています。
恋愛もしています。
子どもたちと笑い合っています。
自分の好きなことを仕事にしようと頑張っています。
そして何より、自分のことを少しずつ好きになれています。
だから大丈夫。
焦らなくていい。
誰かに追いつこうとしなくていい。
私の人生は、私の歩幅でちゃんと進んでいくから。
そして、この文章を読んでくださったあなたへ。
もし、昔の私みたいに、
恋愛になると自分を見失ってしまう人がいるなら。
嫌われるのが怖くて、本音を飲み込んでしまう人がいるなら。
どうか、自分を責めないでください。
あなたが弱いからではありません。
もしかしたら、昔の私と同じように、「置いていかれること」が怖かっただけなのかもしれません。
私は40歳になって、ようやくそのことに気づきました。
だから今度は、この経験を隠さずに書いていこうと思います。
きっと、この先も迷うことはあります。
恋愛で悩む日もあるでしょう。
仕事で落ち込む日もあるでしょう。
でも、それも全部ひっくるめて「私の人生」です。
これから先のココナラでは、恋愛のことだけではなく、離婚のこと、子育てのこと、スピリチュアルと出会って変わったこと、40代から「自分を生きる」と決めた日々のことも、飾らずに書いていきたいと思っています。
もし、この物語のどこかにあなた自身を重ねてくれたなら。
またどこかの記事で会えたら嬉しいです。
その時は、「誰かに愛される方法」ではなく、「自分を好きになっていく過程」を、一緒に歩いていけたらと思っています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
恋愛依存から抜け出した具体的な考え方や、40歳で「自分軸」を取り戻した過程は、こちらのコンテンツで詳しく書いています。
👉 『不安に振り回されない 自分軸恋愛の作り方』