こんにちは。子育て&教員のマインドサポーター、hanaです。
ようこそお越しくださいました。
最近・・・この1週間ぐらいかな、朝出かけて行った家族が、無事に全員帰宅すると、本当に安心して、「今日もありがとうございます」という気持ちになっています。
毎日、家事や育児、介護をしていて、あっという間に一日が終わります。
「あっという間」というのは「非常に短い時間」です。
ということは「間」は「時間」という意味ですね。
生きているだけでやることがいっぱいあって、「生きることって手間がかかるなあ」と思うことがあります。
私の場合、「面倒」ということではなくて、単純に「工程が多い」という意味です。
その「工程の多さ」のおかげで、毎日目の前にあることに一生懸命になれます。
そのことが幸せだと思います。
もちろん、忙しいときや、体調が悪いときには、工程を減らすために便利グッズを使うこともありますが、普段は、敢えてあまり減らし過ぎないようにしています。
手間がかかることそのものが、生きていることのような気がしているのです。
今日も、リビングの床を掃いて雑巾がけしたり、実家の洗濯物を干したり(最近忘れっぽくなった父が、洗濯をしたのも忘れて洗濯機に入れたままになっていた)、花瓶の水を取り替えたり。
床掃除は掃除機でもいいんです。
でも、掃いてほこりを取った後に、きゅっきゅっと雑巾で拭く、その「手間」が心地よく感じます。
あれこれ考えていたことから暫し離れ、床と向き合う、手を動かす。
静かな営みの中で、私はからっぽになり、軽くなっていきます。
丸一日洗濯機に入れたままになっていたらしい大量の洗濯物を、私の自宅に持ち帰り乾燥機で一気に乾かしてもいいんです。
でも、実家の庭に出て、ひとつひとつ干していく、その「手間」がいとおしく思えます。
父も、随分忘れっぽくなったなあ。
要介護の母は、洗濯物を干すこともできなくなって、でも父が洗濯をしたことは覚えていて、「自分が干すことができないのに、『忘れてるよ』と父に言うのは申し訳ない」と思っているんだろうなあ。
父の忘れっぽさも、母の気遣いも、なんだか可愛らしく思えます。
そんな両親を、そっと助ける、その役割が私にあることが嬉しいのです。
そもそも生花なんて活けなくてもいいんです。
でも、生きたお花があることで、世話をする「手間」ができ、命を感じる機会をありがたく感じます。
昨日よりも少しだけ開いた花びらや、水を吸い上げてピンと張った茎。
お花は何も話してはくれませんが、小さな変化を見せることで、生きていることを知らせてくれます。
しおれていく過程さえも愛おしく、命を全うしようとする姿に感動さえ覚えます。
感動することを忘れがちな私に、心の潤いを取り戻してくれるのが生花なのです。
我ながら、手間がかかる人生だな、と思うんですけど。
これが私には合っているような気がするのです。
「今日もやることがたくさんあって、ありがとうございます。」
手間のかかる人生。
ゆったり生きたいあなたに、おすすめします。