4話:”子どものため”の競争

記事
小説
翌日の夕方。

駅前の小さなオフィスにはまだ西日の色が残っていた。

ブラインドの隙間から差し込むオレンジ色の光が机の上の資料を斜めに照らしている。
コピー用紙の端だけがやけに明るく見えた。

エアコンの低い音。
パソコンの待機ランプ。
誰もいないフロア特有の静けさ。

その中であさひは一人。
保育者と保護者の意見を読み返していた。

「子どもと向き合う時間を増やしたい」

昨夜、保護者たちから出た言葉。
その横には赤ペンで丸がついている。

「行事の見直し」
「ICT化」
「保護者との役割分担」

ページの端には小さく書き込みも残っていた。
“何を減らすか”

あさひはその文字をぼんやり見つめる。

「まだ仕事してたんだ」
入り口のドアが開いた。

ヨルだった。

黒いジャケットを肩にかけ、コンビニのコーヒーを二つ持っている。
ネクタイは少し緩んでいて、髪もわずかに崩れていた。

長い一日だったのが分かる。

「はい、どうぞ」
机に片方を置く。
「ありがと」
あさひは少し笑って受け取った。

紙コップから立ちのぼる湯気が静かに揺れる。
その湯気を見ていると張っていた神経が少しだけほどける気がした。

ヨルは椅子を引いて座る。
資料をちらっと見た。

あさひは資料を閉じる。

外では遠くで救急車のサイレンが鳴っていた。

その音が夕方の街の空気に溶けていく。

少しの沈黙。

ヨルがコーヒーの蓋を少しずらしながら口を開く。

「難しいよね」

あさひは小さくうなずいた。
その“難しい”の意味を、ちゃんと理解していた。

保育園は慈善事業だけでは続かない。

人件費。
施設維持費。
安全対策。
設備更新。

そして少子化。

園児が減れば、そのまま経営に直結する。

ヨルは波立つコーヒーの水面を見つめながら続けた。
「実際、“特色”出さないと選ばれない時代になってるし」
指を折りながら数える。

英語プログラム
体操教室
リトミック
食育
少し苦笑する。

「保育園っていうより、“教育サービス競争”になりつつある」

あさひは視線を落とした。
窓ガラスに映る自分の顔が、少し疲れて見えた。

「分かる」

でも。

「それって」
少し間を置く。

「“子どもの最善の利益”なのかな」
部屋が静かになる。

ヨルは少しだけ天井を見上げた。

「そうだよね」

“子どものため”。
その言葉は誰もが使う。

でも実際には、
“他園との差別化”
“保護者満足度”
“収益”
“ブランド化”
いろんなものがそこに混ざっていく。

ヨルは昨夜のみき先生の顔を思い出していた。

「子どもを見る時間が減ってるんです」

あの言葉。

張り裂けそうな怒り。

「保育者が足りないのに」
ヨルがぽつりと言う。

「やることだけ増えていく」

「しかも今、“減る子ども”を奪い合ってる状態だからね」

少子化。
閉園。
統廃合。

だから企業は、“選ばれる園”を作ろうとする。

「行事を増やして」
ヨルが続ける。

「カリキュラムを入れて」
「“他より良いですよ”って」
「その裏で、現場が削れてる」

二人とも分かっていた。

先生たちが辞めていく理由は給料だけじゃない。

“余白”がない。

子どもを見る余白。
考える余白。
休む余白。
感情を整理する余白。

ヨルが椅子にもたれた。

「AIとかICTもさ」
コーヒーを一口飲む。

「本来は、“子どもと向き合う時間を増やす”ためのものなのに」
「逆に負担増えてる、か」
あさひがすぐ返す。

「そう」
ヨルはうなずいた。

「中途半端な導入」

タブレット入力。
システム導入。
でも、現場教育はほぼなし。

「結局、“デジタルが増えただけ”」
「それを効率よく使う技術は、なんとなくしか教えない」

しばらく、沈黙が流れる。

ブラインドの隙間から入っていた西日も、少しずつ弱くなっていた。
部屋の中の色温度が、ゆっくり夜へ変わっていく。

ヨルがぽつりと言う。

「結局さ」
窓の外を見る。

「“何を守るか”を決めないまま、全部やろうとしてるんだよね。それはもちろん言葉としては”子供のため”だけどね」

あさひはその言葉をゆっくり受け止めた。

全部やる。
行事も。
保護者満足も。
監査も。
安全管理も。
差別化も。

やらなきゃいけないことはいっぱいあっても、
人は増えない。
時間も増えない。

「だから、現場が壊れる」
あさひが言う。

ヨルは静かにうなずいた。
「本当は」

あさひは机の上の資料を見つめながら言う。

「“保育の質”って、行事数やカリキュラムじゃないと思う」
「うん」
「子どもが“ちゃんと見てもらえた”って感じられること」
ヨルが少し笑った。

「それ、一番シンプルなのに、現場を知らない人たちが違うところばかり見ようとしてるから、一番難しくなってるんだろうな」

外はもう暗くなっていた。

窓ガラスにはオフィスの中がぼんやり映っている。
その中であさひが小さく息を吐いた。

「変えられるかな」
ヨルは少し考える。

すぐには答えなかった。
そして、静かに言った。

「現場をちゃんと見て、改善しようとしてくれる人たちが増えれば…?」

一度、言葉を切る。

「それなら、“何を減らすか”を決めることはできるんじゃないかなって可能性に賭ける」

その言葉にあさひは静かにうなずいた。

保育を守ることは、
“増やすこと”じゃない。

時には、
“減らす勇気”を持つことなのかもしれなかった。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す ココナラコンテンツマーケット ノウハウ記事・テンプレート・デザイン素材はこちら