やっかいな事に、この世界は美しいもので溢れていて
相対的に、美しくない言葉や、目を背けたくなる光景が
僕達の前には現れてくる。
誰かにとっての当たり前が、当たり前ではない世界があって
美しい目を持った人達の視界からすっぽりと消しさられてしまう。
高層マンションから見えた心が震えるほど綺麗な夜景。
路地裏では酔っぱらい達が地面に倒れ、誰かがポケットから財布を抜き取る。
見えていない人達は平気で、それはあなたが穿った見方をしているからそう見えるのでは?と言うだろうか。
なぜ、もっと自分を産んでくれた両親に感謝しないの?
文句ばかり言っていないで、今自分のおかれている環境で生きることが大事。
と優しく諭そうとしてくるのだ。
目の前で親が幼い兄妹を殴っている。
気付けば奨学金を生活費として使い込まれていた学生。
結婚することは許さない、一生親の面倒を見なさい。感謝しなさい。
誰もが話せば分かり会える世界は理想かもしれないが、
この不条理が蔓延る日常では、その言葉はあまりにも無力だ。
目を覆う当事者と見えているのに見えていない傍観者。
それはネットニュースの中のトピックスではなく、誰かにとってのごくありふれた日常の風景なのだ。
なんて酷い親なんだ、なぜ行政は救ってあげられなかったのか。
そして、今晩の夕食の献立を考え始める。
あるいは、これから向かう営業先の資料を準備する。