これまで、甘いものやカフェイン、そして「ご褒美」がやめられない理由について書いてきたのだ。
今回は、現代のご褒美依存をさらに強めているものについて考えていくのだ。
それが、
SNS
なのだ。
■ SNSは悪いものではない
最初に言っておきたいのは、
SNSそのものが悪いわけではないということなのだ。
SNSには良い面もたくさんあるのだ。
・人とつながれる
・情報を得られる
・自分の考えを発信できる
・励まされることもある
だから、SNSを使うこと自体が悪いわけではないのだ。
問題は、疲れているときや不安なときに、
SNSが人の欲を強く刺激してしまうことなのだ。
■ SNSには「他人のご褒美」が並んでいる
SNSを見ていると、いろいろな投稿が流れてくるのだ。
・旅行に行った
・おしゃれなカフェに行った
・美味しいものを食べた
・新しい服を買った
・きれいな場所に行った
・充実した休日を過ごした
こうした投稿は、見るだけなら楽しいものなのだ。
でも、自分が疲れていたり、日常に不満を感じていたりすると、
それはただの情報ではなくなるのだ。
それは、
「自分には足りないもの」
として見えてしまうことがあるのだ。
■ 比較が始まると、欲が刺激される
SNSでつらくなるのは、
他人が楽しそうにしているからだけではないのだ。
本当につらいのは、
それを自分の日常と比べてしまうことなのだ。
他人の旅行
他人の外食
他人の買い物
他人の充実した時間
それを見て、
「自分も何かしないと」
「私もどこか行きたい」
「私も満たされたい」
と思いやすくなるのだ。
これは単なる物欲ではないのだ。
疲れた心が、
外側から刺激を受けて動いている状態なのだ。
■ 旅行が特に強く見える理由
SNSでは、ブランド品を買った投稿よりも、
旅行やカフェ、絶景のような投稿の方が自然に見えやすいのだ。
なぜなら旅行は、
ただの消費ではなく、
「充実した人生」
のように見えやすいからなのだ。
物を買った投稿は、少し自慢に見えることがあるのだ。
でも旅行は、
・人生を楽しんでいる
・自分を大切にしている
・豊かに生きている
という印象になりやすいのだ。
だから、見る側の心を強く刺激するのだ。
■ SNSは「足りない感覚」を作りやすい
本当は、日常の中にも楽しみはあるのだ。
静かな朝。
温かいご飯。
畑や道端の季節の変化。
何気ない会話。
ちゃんと眠れた日の安心感。
そういう小さなものも、本来は十分に大切なのだ。
でもSNSを見続けていると、
派手で分かりやすいものばかりが目に入るのだ。
すると、日常の小さな満足が見えにくくなるのだ。
そして、
もっと特別なことをしないと満たされない
という感覚が出てきやすいのだ。
■ 命縁弁証学で見ると
命縁弁証学では、
今の状態や環境を「縁」として見るのだ。
SNSは、現代人にとって非常に強い「縁」なのだ。
流れとしてはこうなのだ。
疲れ・不安・不足感
↓
SNSを見る
↓
他人のご褒美を見る
↓
比較が起きる
↓
欲が刺激される
↓
自分も何かで満たしたくなる
これは、現代的な未病のループなのだ。
病気ではない。
でも、心の状態は静かに揺らされているのだ。
■ 問題は「欲があること」ではない
欲があること自体は悪いことではないのだ。
行きたい場所がある。
食べたいものがある。
綺麗なものを見たい。
楽しい時間を過ごしたい。
これは自然なことなのだ。
問題は、
自分の内側から自然に出た欲なのか、
外側から刺激され続けて出てきた欲なのか、
分からなくなることなのだ。
ここが大事なのだ。
■ SNSを見るほど疲れるなら
SNSを見たあとに、
なんとなく焦る。
物足りなくなる。
自分の日常がつまらなく感じる。
何か買いたくなる。
どこか行かないといけない気がする。
そう感じるなら、
それはSNSによって欲が刺激されすぎているサインかもしれないのだ。
その場合、必要なのは根性で我慢することではないのだ。
まずは、
自分の状態を見ること
なのだ。
疲れていないか。
休めているか。
食事は乱れていないか。
睡眠は足りているか。
本当は何に満たされていないのか。
ここを見ることが大事なのだ。
■ まとめ
SNSは悪いものではないのだ。
でもSNSには、
他人のご褒美や楽しみがたくさん並んでいるのだ。
疲れているときにそれを見ると、
自分には何かが足りないように感じやすくなるのだ。
そして、甘いもの、買い物、旅行、外食などで、
その不足感を埋めたくなるのだ。
大切なのは、SNSをやめることではないのだ。
SNSを見ても揺らされすぎない状態に整えることなのだ。
■ 次回予告
次回は、今回出てきた「旅行」についてもう少し深く考えていくのだ。
旅行は本来、日常から離れて心を整える良いものなのだ。
でも現代では、
旅行が「回復」ではなく「消費」になってしまうこともあるのだ。
次回は、
旅行が「回復」から「消費」に変わるとき
について書いていくのだ。