実践例:間違った健康法と人生② ― 未病は昔から語られていた ―
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基本的に誰もが
「体調が崩れてから何とかしようとする人が多い」
そして多くの場合、
その段階ではすでに状態が深く崩れているのだ。
これは現代特有の問題のように見えるけど、
実はそうではないのだ。
■ 古典(史記)の話「扁鵲(へんじゃく)の逸話」
扁鵲の有名な話があるのだ。
王「そなたが名医と聞くが……どうなのだ」
扁鵲「いえ、私ではございません」
王「ほう?では誰が名医なのだ」
扁鵲「私の家には三人の医者がおります」
「最も優れているのは、長兄にございます」
王「何が違うのだ」
扁鵲「長兄は、病がまだ形になる前にこれを治します」
「ゆえに人は、自らが治されたことを知りません」
王「では次はどうだ」
扁鵲「次兄は、病の初めにこれを治します」
「ゆえに軽い病を治す医者として知られております」
王「……では、そなたは?」
扁鵲「私は、病が深くなってからこれを治します」
「ゆえに人は、その働きを見て名医と申すのでございます」
王「……なるほどな」
扁鵲「しかし、本当に優れているのは――」
「病を起こさせぬ者にございます」
中医学の古典でも同じ事を言っている
「上工は未病を治す」
(優れた医者は未病を治す)
早期 → そもそも病気にならない
重症 → 劇的に治るから評価される
つまり
👉 目立つものほど本質とは限らない
■ 現代の健康法とのズレ
今回の相談では
排便回数を増やすために下剤を使う
生の穀物粉で栄養を取ろうとする
腸を無理に動かそうとする
一見「健康に気を使っている」ようで、
実際には体のバランスを崩していた
その後の家族の健康問題の精神的負担から
自身の健康問題に発展してしまった。
■ 命縁弁証学で見ると
ここはこう整理できるのだ。
命:体質はそこまで弱くない
縁:生活習慣(健康法)が乱れている
果:不調が出ている
つまり原因は
👉 体質ではなく“やり方”
だったのだ。
■ 未病という考え方
中医学では
👉 未病(まだ病気ではない状態)で整える
という考え方が重要視されている。
そしてさっきの扁鵲の話は
👉 まさに未病の思想そのものなのだ。
今回のケースの本質はここなのだ👇
👉 「出ているから良い」という思い込み
これはかなり危険で
出ている=良い
ではなく
整っている=良い
なのだ。
■ まとめ
昔から言われている通りなのだ。
👉 本当に重要なのは“崩れる前に整えること”
でも現代では
強い刺激
即効性
わかりやすい変化
こういうものが評価されやすいのだ。
だからこそ逆に
👉 地味でも整えることが価値になる
これを一歩占い側に発展させたのが命縁弁証学の立ち位置なのだ。
正しい生活を守り正しい食生活を守る、ひいては健康を守り
人生の苦難にあっても負けない体を作る。
既に体調を崩し苦難の中にある人は
食事を正し体調を整えて
苦難に立ち向かえるだけの体力をつける。
体さえ良くなれば後は自ずと困難にも立ち向かえる、
人によっては心のサポートまでするとによって
苦難を切り抜ける手助けをする。
これが命縁弁証学の哲学の一部である。
■ 締め
体は、急に壊れるわけではないのだ。
少しずつ崩れて、ある日表に出るのだ。
だからこそ
👉 表に出る前に整える
これが一番効率がいいのだ。