幸せになりたいのに、何が幸せなのかわからなかった

幸せになりたいのに、何が幸せなのかわからなかった

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「幸せになりたい」

そう願って、

手帳やノートに、

自分の理想を書き込もうとしたことはありませんか?

私はあります。


けれど、

いざ書こうとすると、

「私にとっての幸せって、何だっけ?」

と、手が止まってしまいました。

自分にとって幸せって何ですか?

と聞かれて

どれくらい言えますか?



人との違いや、

自分が感じる違和感を見つめていくと、

少しずつ、

自分が何を大切にしているのか。

どんな関係なら心地よいのか。

自分の輪郭が見えてきます。

けれど、

自分の輪郭が見えてきたからといって、

すぐに、

「私はこれがしたい」

「これが私の幸せです」

と言えるようになるわけではありませんでした。

私自身、

自分の特徴には少しずつ気づき始めていたのに、

「では、あなたはどうしたいですか?」

と聞かれると、

答えられなかったのです。



豊かになりたい。

お金が欲しい。

自由になりたい。

そんな漠然とした言葉は出てくる。

でも、

「では、具体的には?」

と聞かれると、

何も浮かばない。

どんな毎日を送りたいのか。

どんな場所にいたいのか。

誰と、どんなふうに過ごしたいのか。

何をしているときに、

私は幸せを感じるのか。

考えれば考えるほど、

分からなくなってしまいました。

かつての私は、

「何が幸せ?」

と聞かれても、

すぐには答えられなかったのです。

 望みがないのではなく、聞いてこなかった


もし今、

あなたが、

「自分の望みが分からない」

という感覚の中にいるのなら、

それは、

あなたに望みがないからではありません。

自分のことが分からない、

ダメな人だからでもありません。

ただ、

自分の声を、

あまりにも長い間、

聞かずに過ごしてきただけなのかもしれません。


私たちは日々、

たくさんの小さな選択をしています。

何を食べるのか。

いつ休むのか。

どこへ行くのか。

誰と過ごすのか。

何を引き受けて、

何を断るのか。

本当は、

その一つひとつに、

自分の小さな望みがあるはずです。

けれど私は、

そのたびに、

自分以外の誰かを基準にしていました。

「子どもが喜ぶから」

「家族が残さず食べてくれるから」

食事のメニューさえ、

自分の食べたいものではなく、

家族が食べるものを選ぶ。

もちろん、

家族と一緒に食べるなら、

みんなが喜ぶものを考えることもあります。

でも、

一人のときでさえ、

「自分のためだけなら、簡単なものでいい」

と思っていました。

誰かには、

おいしいものを食べてもらいたい。

家族の健康は気になる。

誰かが疲れていたら、

ゆっくり休んでほしいと思う。

それなのに、

自分のことになると、

なぜか途端に、

雑になってしまう。

気づけば、

一番我慢させていたのは、

自分でした。

 自分には、当たり前のように我慢をさせていた


眠たくても、

「今は寝ていられない」

と、自分に鞭を打つ。

やらなくてはならないことがあるから、

仕方がない。

少し休みたいと思っても、

「これくらいで疲れるなんて」

と、自分を奮い立たせる。

ふと、

やってみたいことが浮かんでも、

「そんなことをしている場合じゃない」

と、すぐに蓋をする。

本当は言いたいことがあっても、

その場の空気を壊さないように、

飲み込んでしまう。

誰かを我慢させることには、

申し訳なさを感じるのに、

自分には、

当たり前のように我慢をさせていました。

子どもや家族を差し置いて、

自分だけが好きなことをしたら、

「自分ばかり」

と思われるのではないか。

実際には、

誰にもそう言われていないのに、

見えない誰かの評価まで気にしていました。

自分が望んだことを選ぶだけで、

わがままな人に見える気がした。

自分を優先するだけで、

誰かを傷つけるような気がした。

だから、

自分の気持ちよりも、

周りがどう思うかを先に考える。

そうやって生きることが、

いつの間にか、

私にとっての「普通」になっていたのです。

それは、自分に対する「無視」だった


私はずっと、

自分は我慢強いのだと思っていました。

家族を優先できる。

周りに合わせられる。

やるべきことをきちんとやる。

少しくらい無理をしても、

頑張れる。

それは、

自分の長所でもあると思っていました。

けれど、

あるとき気づいたのです。

私は、

自分を後回しにしていただけではなく、

自分の声を、

聞こえないふりをしていたのかもしれない。


「疲れた」

「休みたい」

「本当は嫌だ」

「今日はこれを食べたい」

「一人になりたい」

「やってみたい」

そんな小さな声が出てくるたびに、

「あとでね」

「今は無理」

「そんなことを言ってはいけない」

と、押し戻していました。

自分が言っている言葉を、

私はそのたびに、

無視していたのです。

誰かには、

喜んでもらいたいと思うのに、

自分を喜ばせることは、

ほとんど考えていませんでした。

誰かには、

無理をしてほしくないと思うのに、

自分には、

「これくらい我慢できるでしょう」

と言い続けていた。

そうやって、

自分の小さな望みを後回しにすることが、

いつの間にか、

私にとっての「普通」になっていたのです。

けれど、

それは我慢強さでも、

優しさでもなく、

自分の声を聞こえないふりをする

ことだったのかもしれません。

私はずっと、

自分を後回しにしながら、

自分自身を無視していた。

ようやく、

そのことに気づいたのです。



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