こんにちは♪
最近、ヨガ体験に行ってみたいという気持ちが湧いてきました。
ヨガそのものというよりも、開催されている方に惹かれたというのか、
一度お会いしてみたいと感じたのでした。
必要だというヨガマットやバスタオルも家になかったので、今朝は買いに行ってきました。
その道すがらも、いつものように道端の植物たちに癒されながら歩いていました。
歩きながら、ふと癒しについて浮かんできたことがあります。
以前の私は、癒しの人になりたいと思っていました。
癒しを、何か特別なものだと思っていたのです。
でも今は、癒しって実は私たちの本質そのものだなと・・・
癒しのお仕事をしている人だけではなく、
お店のレジの方も、
工事をしている方も、
お掃除をしている方も、
どんな役割を体験している人であっても、癒しの人であり得る。
”今ここに生まれてくる自分”という、このいのちの働きに抵抗していないとき。
これでいい。
そんな在り方そのものが、自然と周りにも安心を届ける。
これで〜いいのだ〜♪
どこかから聞こえてきそうですが(笑)
そういえば昨日、お話しした方がこんなご感想をくださいました。
「悲しい、情けない、恥ずかしい、可哀想。
感じたらそうなっちゃうから、ポジティブ変換しようとしていました。」
私もそうでしたが、多くが同じように考えておられるのではないでしょうか。
私たちは、こうした感覚が湧いてくると、つい変えよう、なくそうとしてしまいます。
でも、癒しというのは、その悲しさも、情けなさも、恥ずかしさも、可哀想だと感じる心も、そのまま一緒にいてあげられること・・・
見たくないものを見る勇気とも言えるかもしれませんね。
変えなくてよかった。
ここに生まれてくるいのちの働きには、善いも悪いもつけられない。
そのことに気づいたとき、
あるがままでいい。
これでいい。
そんな安心が自然と広がり、癒しの人という様子が生まれてくる。
癒しの人というのは
心地よい自分だけではなく
見たくない自分も
情けない自分も
醜いと感じる自分も
目を背けずに見ることができている人
そんな風にも感じたのでした。