自らを救ってあげるには

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コラム
おはようございます。


今日も生きてる・・・


この奇跡の背後のおおいなる何かを感じてるとき
何を見ても愛おしくなる。
それは何か価値判断してる自分が
溶け込んでいるから。


死ということも
このおおいなるものの内では移り変わる循環の一つでもあって
それを怖がるということは
死ということに価値づけしてることに気づかせてくれる。


これは言葉で表現できても
実際目の前に現れると
どんな恐怖がわきあがるかわからない。


でも、その恐怖も許されていて
五感を感じる私たちを通して
おおいなる何かにとって(方便になるけれど)
恵みの体験となる・・・


自然は無条件で価値づけのないところでもあるので
私たちの目の前には
その条件付けしてるところや
価値づけしてるところが
違和感として現れてきます。


対象の何かに向けて
意見したくなるとき
必ず、自らの中にそれはあると教えられてる。


何かをおかしいと感じるこころ。
もっとこうすべきと感じるこころ。


また、起きてくる反応に対して
苦しむことも多々あります。


自分自身から現れるもの
または見える何かに対して
こんな自分はダメ。
もっとこうしなきゃと判断してることに気づいたら
現れてるもの
またそう反応してる自分を許してあげよ。
その機会を与えられてる・・・
そう感じる自分をじ~~~って観るというか
感じてあげると
その重さは和らいでいくと思います。


どんな表現もおおいなる何かの体験したいことの恵み。
わたし、あなたという存在を通してでないと
その感覚は生まれなくて味わえなかったということ。


どんな醜いということも
その醜いなという何かを感じてる
私という存在を慈しんであげていい。


そして、驚くような衝動、動きが起きてきても
それはまた全体にとっての
とても貴重な働きの一つ。
その動きをしてる自分も許してあげられる。
他人がどうだということを超えて・・・


それが自らを救ってあげるということ
そんな風に感じたのでした。
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