こんにちは。
娘はお付き合いしてる人と北海道みたいでした。
その中のお話で、
娘もそうですが、彼もたまに”消えてしまいたい”ときがあるという
ことのようでした。
それを聴いて、皆があるがままで生きられる世界になればいいなと
感じたのと、
そう感じるのも正常のように感じたのでした。
私たちの動きはどうしようもない
コントロールできない
全体、神さまと呼ぶなら
その働きの中の一つを体験しています。
それをどうこうしよう。
主導権を握っていると強く思い込んでいる塊が
”私”なのですね。
”私”という塊は
抵抗そのものでもあります。
消えてしまいたい・・・
はこの”私”をどこか不自然なものだと
感じ取っておられる反応のように感じます。
これでしかないんだ。
今までもこれでしかなかったのだ・・・という
諦めと、明らかさ。
今の状態は、”私”の責任ではなく
全体から起きてきたことです。
全体の責任で神さまの責任。
仕業です。
さまざまな体験を味わっておられること。
さまざまな角度から全体、神さまを見て
味わっておられるのだと感じています。
人の数だけの角度があって・・・
それもまたひとつの中で起きていることで・・・
私たちには理解できないわからない中の事・・・
それが一番の事実のように感じるのでした。