”私”が抵抗そのもの

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コラム
こんばんは*^^*

今日はゆったり海沿いを運転しつつ、見ようとする

”私”がいるとき

目の疲れは増すように感じ、

ただ照らし出されたものと一体化しているとき

見るという経験だけがおきているとき

その疲れは無くなっていました。

これからも感じられるように

”見る、聴く、触れる、味わう、匂う”

ここには抵抗感はまったくないことに気づかれると思います。

抵抗は”私”だったのですね。

”私”が見たものに対して良い悪いの反応が起き

”私”が聴こえたものに対して判断し

”私”が触れたものに対して心地よいよくないの判断をし、

”私”が味に対して美味しい、まずいの判断をし

”私”が匂うものに対して、良い悪いの判断をする。

見る。。。という行為自体には何もくっついていないんです。

そして、反応する”私”が居なくても

動きは起きています。

”私”は分離そのもの、抵抗でもあったのだなあとしみじみと感じています。

その抵抗から苦しみが生まれてる。

私の目が痛いのではなく

この(全体)中に、”痛み”が現れている。

その痛みも見えるものや聴こえるものと同じ。








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