何が現れても
それをただ現れるがままに
気付き続けるそのスペースは
私たちが何をしていようと
気にしない。
今日以前も一度お話させていただいた
50代を超えて看護師をやめ、突然お寺に入門することになったという方のお話を聴く機会がありました。
お師匠さんとなる方にも
偶然10年前に出会われていて
不思議な動きの中で過ごされている方でした。
その方が尊敬するお師匠さんの、見てはいけないものを
見てしまった、どうしたら・・・というお話でした。
その方もまた、その気にしないスペース
本質として存在する方なのだなあと感じたのでした。
お師匠さんであろうと
戒律から外れていようと
その動きそのものを私たちは何も判断できない。
命の動きや、その現れは
それらの生き生きとした表現
ただそれだけなのです。
私たちにできることがあるのだとしたら・・・
それを見て生まれ現れてくる、怒りや憤りを
ただただ現れるがままを許し
そしてそっと手放せばいい。
私たちに判断できるものなんて何もないのだ
そう感じています。
気にしない。
それが一番のくつろぎだなあと感じるのでした。
そして、そのスペースはいつもいつも変わらない。
これからも・・・