湯治と思考

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コラム
湯治のあと、雪のあと
温泉に浸かると、体だけでなく心までほぐれていく。最初は肩に溜まっていた緊張がほどけ、次第に思考の澱も流れていくようだった。
この旅に来た理由は、特に大それたものではない。少し疲れていたのかもしれないし、ただ温泉に浸かりたかっただけかもしれない。けれど、湯に包まれ、静寂に身を委ねるうちに、いつの間にか心の奥深くまで温泉のぬくもりが染み込んでいた。

湯気の向こう、ふと窓の外に目を向ける。そこには、静かにそびえ立つ雪山があった。
息をのむ美しさ
まるでそこだけ時間が止まっているかのように、雪山は静かにそこにあった。
白く、凛とした峰々。風が吹くたびに、木々の枝に積もった雪が静かに舞い落ちる。その光景を見た瞬間、思わず息をのんだ。美しい。
そう思ったとき、不思議なことに言葉ではなく感覚が先にあった。普段なら、「きれいだ」とか「壮大だ」とか、何かしら言葉を探すものなのに、このときはただ、その美しさを受け入れるだけだった。
考えずとも、ただ感じる。こんなに素直に物事を受け止めることができたのは、久しぶりだった。

「やる気」は「やる」が先
湯治の効果なのか、心がすっきりと澄んでくると、ふとこんなことを考えた。
「やる気」という言葉。よく考えてみると、「やる」が先にあり、「気」があとについてくる。
つまり、やる気を待ってから行動するのではなく、まずやることが先。そのあとに気がついてくる。これは何かを始めるときに、とても大切なことではないだろうか。
例えば、走る気分じゃなくても靴を履いて外に出れば、意外と体が動き出す。勉強する気分じゃなくても、とりあえず机に座れば、自然と本を開いている。筆が進まない日でも、とりあえず一文書いてみると、次の言葉が生まれてくる。
「やる気が出たらやろう」ではなく、「まずやる、それから気がついてくる」。
これに気づいた瞬間、雪山の静寂と美しさが、まるでその考えを肯定するかのように、そこにただあり続けていた。

詩:湯のあと、雪のあと
湯気の向こうに 雪山があった
白く、凛とした 静寂の塔
ただそこにあるだけで 美しく
私は ただそれを見ていた
心の曇りは 湯とともにほどけ
裸の自分が 素直に頷く
ああ、これは美しい
言葉よりも先に 息をのんだ
「やる気」というものを考える
やる、が先で
気、があと
歩き出した足に 風が追いつくように
筆を走らせた手に 言葉が宿るように
まず、やる
そうすれば 気はあとから生まれる
湯治のあと
私は、はじめて湯治をしたのだと知った
体を温めるだけでなく
思考をほどき、
素直に、世界を感じること
雪の山は ただそこにある
私は ただそれを見る
それで、いいのだ

まとめ
湯治とは、ただ体を温めるだけのものではなかった。心をほぐし、余計なものを削ぎ落とし、世界を素直に受け止める感覚を取り戻す時間でもあった。
そして、そこから得た気づき。「やる気」は「やる」が先。「気」があとからついてくる。
もし、何かを始めるのに躊躇しているなら、まずは一歩踏み出してみる。そうすれば、気はあとから自然についてくるかもしれない。
そんなことを、温泉の湯気と雪山の静寂が教えてくれた。
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