詩「私という場所」

詩「私という場所」

記事
小説
好きになった人を 
招き入れようと 

ソファの上の荷物を 
棚の箱の中にしまって隠す 
昨夜のたばこの匂いを消そうと 
花の香りで纏わせる 
埃が舞わぬように 
美しいカバーを掛けてみる 

お互いのソファが 
本当は散らかっているんだ
と知った方が
落ち着く二人は 

片付けたことを 
知りながら 
お互いの心の 
座れそうな隙間で 
寄り添い合う 

本当に大切な人は 
このソファには 
座ってくれない 

座りたいと 
切望してくれるのに 
二人の願いは 
叶わない 

花の香りも 
美しいカバーも 
なしにして 

あなたのままのような 
澄んだアイボリーの
ぬめ皮が 
優しく彼に 
場所を用意するとき 

そっと 
ソファに光が 
舞い降りる


あとがき―
繕うことが、おしゃれだったり、ちゃんとしていることだったりする。
丁寧に整えられた姿は、手をかけて作られた作品のようで、見えない舞台裏には、そこまで綺麗になるために格闘した痕跡が残っている。

私たちの人生は、たいていその「ちゃんとしてる」でうまくいく。
身なりを整え、言葉を選び、見せなくていいものはしまっておく。
それはきっと、人と人とが気持ちよく生きていくために身につけた礼儀のようなものなんだ。

けれど私たちは、その「ちゃんとしてる」すら通用しないものがあることを、どこかで知っている。
だからこそ、テレビの中の嘘を「作品」と呼んで楽しむこともできるのかもしれない。嘘だと知っていて、美しく作られたものを美しいと思える

けれど、そんな嘘がひとつも通用しないことがある。

昔、おばあちゃんに「お天道様は見てるよ」と言われたときの、背中までこそばゆくなるような感覚。どこまでも見通すあの眼差しは、いつの日か私たちの背中へ戻ってくる。

大人になっても、親になっても、エゴも煩悩もなくなりはしない私たちは、行きつくところで丸裸になる日を、どうやって受け入れるのだろう。

それでも、そんなことを思わずにはいられないほど、苦しみながらも愛し続けてしまう人に出会えたなら。
生肌の感覚も、消えない傷もそのままに、私たちは少しずつ、自分のままを知ることになっていく。

そして、ずっと見てきたはずなのに一度も見たことのなかった自分のままの姿に出会えたなら、
そのことだけで、私たちは星になれると、私は思う。

—— WORD WEAVER 天羽詞鏡
   2026.08.09
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す