適応障害になると見える景色~地獄~

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 おはようございます。こんにちは。こんばんは。

 今回は適応障害という人生の底に落ちたときの感想と、そこから見える景色について話したいと思います。


 まずは、

 悲しさ、悔しさ、無力感。恐怖感。希死念慮。

 私の場合は、適応障害と診断される前は、色々な負の感情が入り乱れて、毎日泣いていました。泣きながら職場に足を運んでいました。


 次に、絶望

 適応障害と診断された後は休職扱い?になったのですが、家に一人きり。絶望感しか湧いてきませんでした。そして、家の中から自力では出られなくなりました。食料も底をつき、スティックシュガーを食べて生きていました。不思議と空腹感は無かったです。

 最後は親が訪ねてきてくれて、実家に引っ越すことに決まりました。母と話すと少し気が楽になったのを覚えています。ただ、核の部分までは溶けきりませんでした。


 次に、更なる絶望

 実家に引き返った自分は、典型的な引きこもりになってしまいました。

 食事は自分の部屋まで持ってきてもらっていましたし、トイレ、シャワー、歯磨き以外では自室から出られませんでした。そうなると勿論、髭はかろうじて何日かに1回は剃れていたものの、髪は伸び放題で、見た目は最悪でした。今思うと、写真の1枚でも撮っておけばよかったと思います。

 自室では人間不信、自暴自棄で、働こうという意識にもなりませんでしたし、もうこのまま死んでもいいやと思っていました。

 そして、更なる絶望です。年金の未納通知。これを見たとき、かろうじて繋ぎとめていた糸がプツリと音をたてて切れてしまったのを、今でも鮮明に覚えています。

 当時、絶望した理由を察するに、自分は生きているだけで、人として最低限の営みである(今はそんなことは思いませんが、)年金の支払いさえできなくなってしまった、と思ってしまったのだと思います。最低限のこともこなせない自分。

 死んでもいいやと思い、遺書を書きました。

 ここが私の最底辺の景色でした。

 生きている意味なんてない。むしろ生きているのが罪。物を食べる資格すらない。負の感情のループ。寝逃げで何とか心をリセット、、、できない。起きているだけで罪。灰色の世界。私は頭が良い方なので、それはそれは色んな言葉を使って、自分を苦しめ傷つけていました。苦痛、葛藤、将来の不安で頭がおかしくなりそうでした。


 もうどうしようもない状態まで衰弱しきった時に現れたのが、私と同じような経験をした叔父でした。

 一筋の希望の光、と言っていいのかな?叔父との対話で私は回復していくのでした。回復の過程も痛みを伴うので、苦労しました。これは別の記事で書こうかな。

 また、長々と書いてしまいました。

 今回はこの辺で以上とさせていただきます。

 ありがとうございました。


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失礼します。

望月現
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