「幸せ」の縛り
記事
コラム
こんにちは♪
Shire(シャイア)です。
米国西海岸シリコンバレー在住の
瞑想インストラクターです。
2023年9月にChopra©️から認定され、
正式にインストラクターとして
活動を始めました。
瞑想スペース Shanti Shaya も
よろしくお願いいたします😊
私は普段から
「幸せ」を感じるハードルが
とにかく低いですww
朝の目覚めが気持ち良いと
「あ〜幸せ♡」
ですし、
通勤時に上手く信号の
タイミングが合うと、
「お〜幸せっす!」
職場の先輩がオヤツw
くれたらもう(餌付け?)
「今日は幸せデー♡」
お歩きで素敵なお花に緑に、
ワンニャンリスっ子に会えたら
「プチ幸せありがとう♪」
・・・なんて単細胞(アホ)w
本人もそう思ってます笑い泣き
別に徳を積む?とか
小さな幸せを見つけて
デッカイ何か(ナニ?)を
ゲットする、とか
そういう目論見とか企みは
一切ないです。
音楽活動に必死だった頃は、
私の幸せ=売れること、
という定義でした。
売れるため、だけに20年以上
一心不乱に生きてきて、
毎日がそのハードルを超えるために
捧げられていたので、
美味しいものを食べても、
絶景を見ても、
素晴らしい音楽を聴いても、
自分が売れてなけりゃ響かないわ
実際に琴線に触れる、とか
心から感動する、ことは
なかったです。
確かに美味しかったし
景色は素敵でしたし
音楽は素晴らしかった。
でも、今みたいに
ニャンコのレスキュー動画や
オリンピック選手の活躍や
桜の開花ストーリーなどで
号泣
なんてあり得ませんでしたw
ホント
「なんでこんなんで泣いてるのワシ?」
と思う時もしばしばですww
自分が住んでいるアパートの周りが
素敵な森エリア(遊歩道)である
ことを知ったのもつい最近で、
敷地内に桜(染井吉野)の木々が
あるのも今年初めて知ったという、
なんという勿体無いことを
してきたんだろう、って
思いました💦
自分の幸せに何がしかの定義や
ハードルを設定してしまうと、
自分の周りにある尊いもの達に
気付かなくなるのです。
幸せを定義づけてしまうと、
他の物が格下げ、二流に見えて
「これじゃダメだわ〜」と
切り捨ててしまいます。
だから私は長い間
不満やトラブルも多く、
良い事にも鈍感で、
殺伐としていました。
あ、当時はそんな事
全然思っていませんでしたし
自分はラッキーだし
頑張ってるから報われる、
と真面目に取り組んでいました。
大きな目標があったり
成りたい、やりたい夢が
ある場合は特に、
それを達成しなければ
幸せとは言えない
という縛りを設定しがちです。
人間の思い込みって
ホント厄介なので、
「◯◯がないとダメ」
と思うと、
他に良いことがあっても
おざなりになるのです。
本当は、
朝の光を感じるだけでも
幸せになれるのに。
暑い日に一筋の涼風を
感じるだけでも
涙が出るほど嬉しいのに。
今、何かの目標があって
必死で頑張っている方達も
幸せなんてあるわけない、
と思い込んでいる方達も
出来れば深呼吸して
その気が体に巡るのを感じて、
美味しいものを食べて
美しい音楽を聴いて
ああ、良かったな
とふと感じられる一瞬が
あることを祈っています。
これは、かつての私にも
届くと良いな、と
思って書いてみました😊
Namaste(ナマステ)♪