生きる事と無駄な時間
私は、極度のめんどくさがり屋だ。
「めんどくさい」
それが幼い頃からの口癖だった。
生きることは、めんどくさいことの連続だと思っていた。
好きなことだけをして、娯楽だけに浸っていたい。けれど、世の中はそれを許してはくれない。
朝は起きて仕事に行かなければならない。お金がなければ生きていけないからだ。それだけではない。美容に気を使い、服を選び、社会的な体裁を整える。そんな当たり前のことでさえ、私にとってはひたすら「めんどくさい」ことだった。
かつての私は、「生産的でなければ、それは無駄な時間だ」と思い込んでいた。
興味の幅も極端に狭かった。
世の中の情勢や、地球の裏側の事情を知ったところで、一体どうなるのか。そんなことに時間を使いたくない。ただひたすら自分の殻に閉じこもって、好きなことに浸っていたい。
でもその一方で、生産的になれない自分をずっと責めてきた。
仕事で輝く上司にあこがれ、多趣味なママ友にあこがれ、何かに夢中になれる誰かにあこがれていた。私には何かが欠けているように感じていた。
今、こうして子育てをしているのは、ひょっとすると神様が与えた役割なのかもしれない。もし独身で、この「めんどくさがり」のままだったら、私は今頃きっと引きこもりになっていただろうから。そんな風に思うこともある。
けれど、子供を持って初めて分かったことがある。
それは、「無駄な時間」に定義などないということだ。
世間から見れば無駄に見える時間の中にも、有意義な時間は潜んでいる。
有意義に思えても、無駄な時間だと感じる誰かもいる。
そして、それこそが自分を「生きる」ということなのだ。
本当は、人はお金を稼ぐために生きているのではない。
人は、生きるために生きている。
だから、正直なんでもいいのだ。
悩んでもいいし、悩まなくてもいい。
めんどくさがりでもいいし、そうでなくてもいい。
有意義でも無駄でも、どっちでもいい。
ただ今ここで、息をして生きている。
それだけで、もう十分すぎるほど価値がある。
あぁ、結局そういう事か。
……でも人間だもん、そう簡単には思えない日もあるよね。
もしあなたが、何者かになろうとして、あるいは生産的になろうとして疲れ果てているのなら。
「めんどくさい」と立ち止まってしまう自分を、どうか責めないでほしい。
あなたは、ただ生きているだけでいい。
その「無駄」に見える時間の中にだって、あなたの本当の人生が流れているのだから。